才少女である。その伯母さんなる中年婦人も、彼女と一緒に働いている有力な地下運動者の一人で、彼女の仕事に一段落を付けるべく、サクラとなって彼女を救い出しに来たものかも知れない、とさえ疑っているようであります。
 また、田宮特高課長は彼女を一種特別の才能を備えた色魔にほかならぬ。臼杵病院の付近の若い者で、彼女の名前を知らない者が一人もない事実が、あとからあとから判明して来るのを見てもわかる。だから貴下も小生も、彼女の怪手腕に翻弄されながら、彼女に同情しつつ在る最も愚かな犠牲者である……と言った風に考えているらしい事が、時折、遊びに来る刑事諸君の口吻から察しられるのですが、しかしこれは余りに想像に過ぎていると思います。換言すれば彼女に敬意を払い過ぎた観察とでも申しましょうか。
 貴下と御同様に……と申しては失礼かも知れませぬが、小生がソンナ事実を信じ得る理由を発見し得ませぬ理由を、貴下は最早十分に御首肯下さる事でしょう。
 小生は小生の姉、妻と共に告白します。小生等は彼女を爪の垢《あか》ほども憎んでおりません。
 何事も報いられぬこの世に……神も仏もない、血も涙もない、緑地《オアシス》も蜃気楼《しんきろう》も求められない沙漠のような……カサカサに乾干《ひから》びたこの巨大な空間に、自分の空想が生んだ虚構《うそ》の事実を、唯一無上の天国と信じて、生命がけで抱き締めて来た彼女の心境を、小生等は繰り返し繰り返し憐れみ語り合っております。その大切な大切な彼女の天国……小児が掻き抱いている綺麗なオモチャのような、貴重この上もない彼女の創作の天国を、アトカタもなくブチ毀《こわ》され、タタキ付けられたために、とうとう自殺してしまったであろうミジメな彼女の気持を、姉も、妻も、涙を流して悲しんでおります。隣家の田宮特高課長氏も、小生等の話を聞きまして、そんな風に考えて行けばこの世に罪人はない……と言って笑っておりましたが、事実、その通りだと思います。
 彼女は罪人ではないのです。一個のスバラシイ創作家に過ぎないのです。単に小生と同一の性格を持った白鷹先生……貴下に非ざる貴下をウッカリ創作したために……しかも、それが真に迫った傑作であったために、彼女は直ぐにも自殺しなければならないほどの恐怖観念に脅やかされつつ、その脅迫観念から救われたいばっかりに、次から次へと虚構の世界を拡大し、複雑化して行って、その中に自然と彼女自身の破局を構成して行ったのです。
 しかるに小生等は、小生等自身の面目のために、真剣に、寄ってたかって彼女を、そうした破局のドン底に追いつめて行きました。そうしてギューギューと追い詰めたまま幻滅の世界へタタキ出してしまいました。
 ですから彼女は実に、何でもない事に苦しんで、何でもない事に死んで行ったのです。
 彼女を生かしたのは空想です。彼女を殺したのも空想です。
 ただそれだけです。

 この事を御報告申し上げて、御安心を願いたいためにこの手紙を書きました。

 A・C《コカイン》のスプレーで睡魔を防ぎながらヤットここまで書いて参りましたが、もう夜が白《しら》けかかって脳味噌がトロトロになりましたから擱筆《かくひつ》します。
 彼女が死んだ後までも小生等を抱き込んで行こうとした虚構《うそ》の流転も、それから貴下に対する小生の重大な責任もこの一文と共に完全に……何でもなく……アトカタもなく終焉を告げて行く事になります。
 さようなら。
 彼女のために祈って下さい。



   殺人リレー

     第一の手紙

 山下智恵子様 みもとに
  ミナト・バスにて  友成《ともなり》トミ子より

 お手紙ありがとうよ。
 女車掌になりたいって言う貴女《あなた》の気もち、よくわかりましたわ。
 百姓の生活はつまらない。
 青空や雲を見てタメ息なんかしてはいけない。東京の方へ行く赤、青、白の筋の付いた汽車を見送ってボンヤリなんかしていたら、なおさらいけない。汗でも涙でも、うつむいて土の中に落して行かなければ、百姓仲間の裏切者みたいに両親や兄弟から睨《にら》まれる。土から生まれて、土まみれのボロを着て、真黒い、醜い土くれのようなお婆さんになって、土の中に帰るだけ……。
 ほんとうだわね。同情しますわ。
 ですけども女車掌になんか成っちゃ駄目よ。ほかの仕事はあたし知りませんけど、女車掌だけはホントウにダメなのよ。お百姓なんかよりもモットモットつまらない、そうしてモットモット恐ろしい、イヤな仕事なのよ。
 女車掌の運命なんてものは、往来に散らかっている紙キレよりもモットモット安っぽいものなのよ。女車掌になってみると、すぐにわかるわ。
 早い話が、お百姓の娘でいると、お婿さんは純真な村の青年の中から御両親が選んで下さるでしょ。都合よく行くと好きな人とも
前へ 次へ
全57ページ中28ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング