その時、坂の下一面に涯《は》てしもなく重なり合っている黒い屋根や、明滅する広告電燈や、その上に一パイに散らばっている青白い星の光までもが皆、彼女の吐き散らかした虚構《うそ》の残骸そのもののように思われるのであった。
私は身ぶるいを一つしながら紅葉坂を馳け降りた。来合わせたタキシーを拾って神奈川県庁前の東都日報支局に横付けて、中学時代の同窓であった同支局主任の宇東《うとう》三五郎をタタキ起して、程近い鶏肉屋《とりや》の二階に上った。そこで「面白いネタになるかも知れないが」と言うのを切出しに、彼女に関する今までの事実を逐一、包まずに説明して、一体どうしたものだろうと宇東主任の意見を聞いてみた。
自慢の船長|髯《ひげ》をひねりひねり黙って聞いていた宇東三五郎は、やがて私の顔を見てニンガリと薄笑いをした。彼一流の率直な口調で質問した。
「ふうん。そこで僕は君から一つ真実の告白を聞かせて貰わにゃならん」
「何も告白する事はないよ。今の話の外には……」
「ふうん。そんなら彼女と君との間には何の関係もないチュウのじゃな」
「……馬鹿な……失敬な……俺がソンナ……」
「わかった、わかった。それでわかったよ」
宇東三五郎は突然マドロスパイプを差し上げて叫んだ。
「わかった、わかった。赤たん赤たん」
「えっ。赤たん……?……何だい赤たんて……」
「赤チュウタラ赤たん。主義者《アカ》以外に、そんげな奇妙な活躍する人間はおらんがな。現在、そこいらで地下運動をやっとる赤の活動ぶりソックリたん。まだまだ恐ろしいインチキの天才ばっかりが今の赤には生き残っとるばんたん。そんげな女《おなご》をば養う置《と》くかぎり、今にとんでもない目に会うば……アンタ……」
「うん。ヤッとわかった。その赤カンタン。しかし真逆《まさか》にあの娘が、そんな大それた……」
「いかんいかん。それが不可《いか》んてや、そんげ風に思わせるところが、赤一流の手段の恐ろしいところばんたん。赤にきまっとる。赤たん赤たん。それ以外にソンゲな奇怪な行動をする必要がどこに在るかいな。その姫草ちゅう小娘は、君の病院を中心にして方々と連絡を保っとる有力な奴かも知れんてや」
「ウ――ム。それはそう思えん事もないが、しかし僕の眼には、ソンナ気ぶりも見えないぜ」
「見えちゃあタマランてや。君等のようなズブの素人に見えるくらいの奴なら、モウと
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