ないか」
「イヤ。星でも雲を突き抜いて流れる事があります。光が烈しいですから、直ぐ鼻の先のように見える事があります。私は一度見ましたが……小さい時に……」
「今夜は何か知らん妙な事のある晩だな」
「ちょうど窓の直ぐ外のように見えたがのう」
そう言って校長先生が、ノソノソと窓の処へ近付いてお出でになるようでした。
その瞬間にスッカリ面白くなりました私は、またも一つの悪戯《いたずら》を思い付きました。
写真機と手提袋を深い雨|樋《どい》の中へ落し込んだ私は、手早く髪毛《かみのけ》を解いて、長く蓬々《ほうほう》と垂らしました。ワイシャツの胸を黒い風呂敷で隠しますと、思い切って身体《からだ》の半分以上を屋根の端から乗り出しました。長い髪毛を逆様に振り乱しながら、息苦しいくらい甲高い、悲し気な声で叫びました。
「森栖先生エ――エ――エエエ……」
部屋の中から流れ出る明るい電燈の光線で、窓の外の私の顔を発見された校長先生は、窓の枠《わく》に掴《つか》まったまま眼を真白く見開いて私をお睨みになりました。浅ましい丸裸体のまま、あんぐりと開いた口の中から、白い舌をダラリと垂らしておられました。その恰好がアンマリ可笑しかったので、私は思わず声高く笑い出しました。
「……ホホホ……ハハハハハハ……ヒヒヒヒヒヒ……」
部屋の中が、私の笑い声に連れて総立ちになりました。
「あれエ――ッ……」
「きゃあア――あッ……」
「……誰か来てエ――ッ……」
と口々に悲鳴をあげながら逃げ迷うて、他人の着物を引抱えながら馳け出して行く女《ひと》……そのまま入口の方へ転がり出る女《ひと》……気絶したまま椅子の上に伸びてしまう人……倒れる椅子……引っくり返る卓子《テーブル》……壊れるコップや皿小鉢……馳けまわる空瓶の音……。
……真夜中に三階の屋根の軒先から、逆様に髪毛を垂らして笑っている女の首を御覧になったら、誰でも人間とは思われないでしょう……。
それが間もなくシインと鎮《しず》まりますと、あとには校長先生と同じに、私と睨み合ったまま、棒立ちになっておられる殿宮視学さんと、川村書記さんが残りました。その世にも滑稽《こっけい》な姿のお三人の顔を見廻わしますと、私は今一度、思い切った高い声で、心の底から笑いました。
「ホホホホホ……オホホホホホホ……私が誰だか、おわかりになりまして……?……校
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