ったか知らん……とさえ思ったくらいでした。
 それでも私は、考えようのないような考えで頭の中を一パイに混乱させながらも、キッパリと大阪行きをお断りしたように思います。その時には別段に嬉しくも、悲しくも、腹立たしくも何ともなかったようですが、多分、私の脳髄がまだシビレていたせいでしたろう。

 しかし校長先生は、お諦めになりませんでした。
「これは貴女のおためですから……この就職口さえ御承諾になれば、貴女にはキットいい御縁談が申し込んで来る事を、お約束出来るのですから……運動好きの若い紳士が、その新聞社に待っておられるのですから……」

 とか何とか仰言って、いよいよ親切を籠《こ》めて、繰り返し繰り返しお説教をなさいましたが、その言葉のうちにうなだれて聞いておりました私が、そっと上目づかいをして見ました時の、校長先生のお眼の光の冷たかったこと……人間を喰べるお魚のような青白い、意地の悪い、冷酷な光が冴え返っておりましたこと……。
 その何とも言えない無情な、冷やかなお眼の色を見ました一刹那に、私はモウ少しで……悪魔……と叫んで掴みかかりたいような気持になりましたので、こっそりと一つ溜息をして、頭を下げてしまいました。何もかもメチャメチャにしてしまいたい私の気持が、私自身に恐ろしゅう御座いましたので……。
 その時に校長先生のお言葉が……お話の初めの時よりもずっと熱烈な……祈るようなお声が、私の耳元に響きました。
「……ね……甘川さん。考えて下さいよ。貴方は万が一にも大阪にお出でにならぬとすれば、貴方の御両親やお妹さん達に、どれだけの精神的な御迷惑をおかけになるか御存じですか。貴女を今のままにしておいては将来、家庭をお作りになって、満足な御生涯をお送りになる可能性が些ない事になると仰言って、御両親が夜《よ》の目も寝ずに心配してお出でになるのですよ。これは私が心から申し上ることです、貴女は一体、将来をどうなさるおつもりですか。これほどに貴女のおためを思っておる私の心が、おわかりにならないのですか」
 その校長先生らしい……この上もない人格者らしい威厳と温情の籠もっているらしいお言葉つきの憎らしゅう御座いましたこと。私は今一度カッとなって、何もかもブチマケてしまいたい衝動に駈《か》られましたが、しかしその時には最早《もう》、私の決心が据わっておりましたので、身体中をブルブル
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