るせいじゃないか知らん――
 ――万一、実際の証拠が揚がらないとすれば、コンナにも美しい、若い夫婦の幸福を出来る限り保護してやるのが、人間としての常識ではないか――
 といったような全然、相反《あいはん》する二つの考えが、草川巡査の神経の端々を組んず、ほぐれつ、転がりまわり初めたのであった。

 太陽はまだ地平線を出たばかりなのに、草川巡査と一知が分けて行く森の中には蝉《せみ》の声が大浪を打っていた。その森を越えた二人は無言のまま、直ぐ鼻の先の小高い赤土山の上にコンモリと繁った深良屋敷の杉の樹と、梅と、枇杷《びわ》と、橙《だいだい》と梨の木立に囲まれている白い土蔵の裏手に来た。草川巡査はあとからあとから湧き起って、焦げ付くように消えて行く蝉の声のタダ中に、昨夜《ゆうべ》のままの暗黒を閉め切ってあるらしい奥座敷の雨戸をグルリとまわった時に、云い知れぬ物凄い静けさを感じたように思ったが、やがて半分|開《あ》いたままの勝手口まで来ると、その暗い台所の中で、何かしていた美しい嫁のマユミが、頭に冠っていた白い手拭を取って、ニコニコしながら顔を出した。
「あら……お出《い》でなされませ」
 と叮嚀
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