前の明治三十年頃までは、深良家の先祖代々が住んでいた巨大な母家《おもや》が、雑木林の下の段の平地に残っていたが、それが現在の牛九郎爺さんの代になると、極端な労働《アラシコ》嫌いの算盤《そろばん》信心で、経費が掛るといって、その一段上の雑木の中に在るタッタ三|室《ま》しかない現在の離家《はなれ》に移り住むようになった。同時に牛九郎爺さんはその巨大な母家をアトカタもなく取片付けて隣村の大工に売払い、数多い雇人《やといにん》をタタキ放し同様にして追出してしまい、有る限りの田畑《でんぱた》をソレゾレ有利な条件で小作に附け、納まりの悪い小作人の所有の田畑は容赦なく法律にかけて、自分の名前に書換えて行った。それに又、配偶《つれあい》のオナリという女が亭主に負けない口達者のガッチリ者で、村の女房達が第一の楽しみにしている御大師様や、妙法様の信心ごとの交際《つきあい》なぞには決して出て来ない。のみならず臍繰金《へそくりがね》を高利に廻して、養蚕《ようさん》や米の収穫後になると透《す》かさずに自分で出かけて、ピシピシと取立てたりするようになったので、深良屋敷の老夫婦に対する村中の気受《きうけ》がイヤでも悪くなって来るばかりであった。
「今に見ておれ。あの夫婦は碌《ろく》な死にようはせぬから……信心をせぬような犬畜生にはキット天道《てんとう》様の罰《ばち》が当る」
とか何とか蔭口を云う者が方々に出て来るようになったが、勿論それ位の事に驚くような牛九郎夫婦ではなかった。殊に住んでいる場所が場所だけに、村の人々の気持と全然かけ離れた別人種扱いにされながらも、平気で我利我利亡者《がりがりもうじゃ》に甘んじて、極めてヒッソリと暮しているのであった。
しかし、それでも、その丘の上一帯の森の木立は、流石《さすが》に昔の大きな深良屋敷の構えの面影を止《とど》めていた。夜になるとさながらに巨大な城砦か、神秘的な島影のように真黒々と星空に浮出して、昔ながらに貧弱な村の風景を威儼《いげん》していたので、小さな住居《すまい》に不似合な深良屋敷の名称も、自然、昔のまんまに残っているのであった。
その深良屋敷の老夫婦の間にはマユミという娘がタッタ一人あった。しかも、それが非常な美人だったので「深良小町」の名が近郷近在に鳴り響いているのであったが、可哀相な事にそのマユミは学問上で早発性痴呆という半分生れ付みたような薄白痴《うすばか》であった。大まかな百姓仕事や、飯爨《めしたき》や、副食物《おかず》の世話ぐらいは、どうにかこうにか人間並に出来るには出来たが、その外《ほか》の読み書き算盤《そろばん》はもとより、縫針なんか一つも出来なかった。妙齢《としごろ》になっても畑の仕事の隙《ひま》さえあれば、蝶々を追っかけたり、草花を摘んだりしてニコニコしている有様なので、世話の焼ける事、一通りでなかったが、それを母親のオナリ婆さんが、眼の中に入れても痛くない位可愛がって、振袖を着せたり、洟汁《はな》を※[#「てへん+嚊のつくり」、第4水準2−13−55]《か》んでやったりしているのであった。
しかし何をいうにも、そんな状態《ありさま》なので、誰一人婿に来る者が無いのには両親とも弱り切っていた。のみならず所謂《いわゆる》、白痴美というのであろう。その底無しの無邪気な、神々《こうごう》しいほどの美しさが、誰の目にもたまらない魅力を感じさせたので、さもなくとも悪戯《いたずら》好きな村の若い者は皆申合わせたように「マユミ狩」と称して、夜となく昼となく深良屋敷の周囲をウロ附いたものであった。マユミの白痴をいい事にして入れ代り立代り、間《ま》がな隙《すき》がな引っぱり出しに来るので、そのために両親の老夫婦は又、夜《よ》の眼も寝ない位に苦労をして追払わなければならなかった。
しかしその中にタッタ一人、このマユミにチョッカイを出しに来ない青年が居た。それはこの谷郷村の区長、乙束《おとづか》仙六という五十男の次男坊であった。村では珍らしく中学校まで卒業した、一知という男で、村の青年は皆、学者学者と綽名《あだな》を呼んで別扱いにしている今年二十三歳の変り者であった。
ちょうどその頃、一知の父親の乙束仙六は、養蚕の失敗に引続く信用組合の公金|拐帯《かいたい》の尻を引受けて四苦八苦の状態に陥り、東京で近衛《このえ》の中尉を勤めている長男の仙七の血の出るような貯金までも使い込んでいる有様で、心労の結果ヒドイ腎臓病と神経衰弱に陥って寝てばかりいる状態《さま》は、他所《よそ》の見る目も気の毒な位であったが、しかし次男坊の一知は、そんな事を夢にも気付かないらしく、自分勝手の呑気な道楽仕事にばかり熱中していた。
その道楽仕事というのは、中学時代から凝《こ》っていたラジオで、幾個《いくつ》も幾個も受信機を作っ
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