かわず》の鼻の頭を一つ一つに乾燥させ、地隙《ちげき》を這い出る数億の蟻《あり》の行列の一匹一匹に青空一面の光りを焦点作らせつつジリジリと真夏の白昼《まひる》の憂鬱を高潮させて行った。
 この夏限りに死ぬというキチガイじみた蝉《せみ》の声々が、あっちの山々からこっちの谷々へと、真夏の雲の下らしい無味乾燥なオーケストラを荒れまわらせ、溢れ波打たせて、極端な生命の狂噪と、極端な死の静寂との一致を、亀裂だらけの大地一面に沁み込ませて行くのであった。
 その小高い丘の木立の中に、森閑《しんかん》と雨戸を鎖《とざ》した兇行の家……深良《ふから》屋敷を離れた草川巡査は、もうグッタリと疲れながら、町から到着した判検事の一行を出迎えるべく、佩剣《はいけん》の柄《つか》を押え押え国道の方へ走り降りて行った。

 本署からは剛腹で有名な巨漢《おおおとこ》の司法主任|馬酔《あせび》警部補と、貧相な戸山警察医のほかに、刑事が二名ばかり来ていた。検事の名前は鶴木《つるき》といって五十恰好の温厚そうな童顔|禿頭《とくとう》の紳士、予審判事は綿貫《わたぬき》という眼の鋭い、痩せた長身の四十男で、一見したところ、役柄が入れ違っているかのような奇妙な対照を作っていた。そのアトから腎臓病で腫《むく》んだ左右の顳※[#「需+頁」、第3水準1−94−6]《こめかみ》に梅干を貼った一知の父親の乙束《おとづか》区長が、長い頬髯《ほおひげ》を生した村医の神林先生や二三人の農夫と一緒に大慌てに慌てて走り上って来たが、物々しい一行の姿にスッカリ魘《おび》えてしまったらしく、一人も家の中に這入《はい》ろうとする者は無かった。今更の事のようにメソメソ泣きながら出迎えた一知夫婦と一緒に、一言も口を利かないまま、井戸端の混凝土《タタキ》の上に並んで突立って、検事や、予審判事や、警官連の行動をオドオドと見守ってばかりいた。
 一行の取調は極めて簡単であった。
 一行は既に区長の処へ立寄るか何かして色々の話を聞いて来ているらしく、馬酔司法主任が途中で一知をチョット物蔭へ呼んで、何かしら二三質問をしただけで、草川巡査の報告なぞは検事の耳に入る迄もなく、例によって例の如き司法主任の独断の前に一蹴《いっしゅう》され、冷笑されてしまったらしい。
 疑いもない強盗殺人で、新夫婦が熟睡して気付かぬ間に演ぜられた兇行に相違ない。そんな例は今までにも随分多い事が経験上わかっている。むろん高飛をする前科者か何かが旅費に窮するか何かしての所業《しわざ》であろう。淋《さび》しい一軒家で、相当の資産家である事は人の噂でもわかるし、毎晩夕方に点《とも》しているという五十|燭《しょく》の電燈も、国道を通りかかった者の注意を相当に惹《ひ》く筈である。足跡の無いのは敷石ばかりを踏んで出入したせいに相違ない……という事になったらしい。泣きの涙でいる新夫婦が、司法主任や刑事たちからシキリに慰められながら、何度も何度もお辞儀をするのにつれて、父親の区長や村民たちまでもがペコペコと頭を下げ初めた。事実、世にも美しい若い夫婦が、手を取合って泣いている姿は一同の同情を惹くのに充分であった。
 草川巡査が区長と連立って、大急ぎで深良屋敷から降りて行くと、その背後を見送るようにして検事、判事、司法主任の三人が門口を出て行った。そうして昔の母屋を取払った遺跡《あと》が広い麦打場になっている下の段の肥料|小舎《ごや》の前まで来ると、三人が向い合って立停って、小声で打合せを始めた。肥料小舎の背後を豊富な谷川の水が音を立てて流れているので、三人の声は三人以外の誰の耳にも這入らなかった。
「捜査本部はどこにするかね」
「駐在所でいいでしょう。電話がありますから。刑事を一人残しておいて、必要に応じて出張する事にしたいと思います。自動車で約一時間ぐらいで来られますから……」
「うむ。それがいいでしょう。実をいうと例の疑獄の方で儂《わし》も忙しくて、これにかかり切る訳にも行かんでのう……ところでアタリは附きましたかな……」
「色々想像が出来ますねえ。犯人は区長と、一知と、ルンペンと、前科者と……」
「ハハア。しかし今のところどれも考えられんじゃないですか、この場合……第一区長は見たところ相当な好人物に見えるじゃないですか。村の者のコソコソ話によると、区長は村のために自分一人が犠牲になって死物狂いに努力しおる名区長じゃというし、息子の一知も区長が或る計画の下に養子に遣ったものでは決してない。先方《こちら》からの望みであったというし、目下区長が全責任を負うて心配している信用組合の破綻を救うために、村民の決議で村有の山林原野を抵当にした、相当有利な条件の借金話が、区長と死んだ深良老人との間に都合よく進行しているという話じゃから、その裏の裏の魂胆でも無い限りは
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