さき》に身を投げかけるようにして来た相手は、そのまま懐剣を取落して仰《の》けぞった。両手の指をシッカリと組み合わせたまま、あおのけに倒おれると、膝頭をジリジリと引き縮めた。涙の浮かんだ眼で平馬を見上げながらニッコリと笑った。
「……本望……本望で……御座います。平馬様……」
 そう云ううちに、袈裟《けさ》がけに斬り放された生平《きびら》の襟元がパラリと開いた。赤い雲から覗いた満月のような乳房が、ブルブルとおののきながら現われた。
「……すみませぬ……済みま……せぬ……。今までのことは、何もかも……何もかも……偽り……まことは妾《わたくし》は……女……女役者……」
 と云いさして平馬の方向《ほう》へガックリと顔を傾けた……が……しかし、それは苦痛のためらしかった。そのまま眼を閉じてタップリと血を吐いた。……と見るうちに下唇を深く噛んで、白い小さな腮《あご》を、ヒクリヒクリとシャクリ上げはじめた。
 平馬は血刀を掲《ひっさ》げたまま茫然となっていた。
「……ええ。お頼み申します。お取次のお方はおいでになりませぬか。手前は見付の佐五郎と申す者で御座います。どなたかおいでになりませぬか。お頼み申しますお頼み申しますお頼み申します……」
 という性急な案内の声を他所《よそ》事のように聞いていた。

 一柳斎は伸び伸びと肩を上げてうなずいた。
「いや。無事にお届が相済んで祝着この上もない……まず一献《いっこん》……」
 贋《に》せ侍斬りに就いて大目附へ出頭した紋服姿の石月平馬と、地味な木綿縞《もめんじま》に町の低い役袴《やくばかま》を穿いた三五屋、佐五郎老人が、帰り道に招かれて夕食の饗応《もてなし》を受けていた。大盆を傾けた一柳斎は早くも雄弁になっていた。
「……のう……一存の取計らいとはいう条、仮初《かりそめ》にも老中の許し状を所持致しておる人間じゃ。無下《むげ》に斬棄てたとあっては、無事に済む沙汰ではないがのう……お江戸の威光も地に墜ちかけている今日なればこそじゃ。それに又、佐五郎老体の言葉添えが、最初から立派であったと云うからのう。番頭《ばんがしら》の筆頭が感心して話しおったわい」
「どう仕りまして……無調法ばかり……」
「いや。なかなかもって……お関所破りの贋《に》せ若衆とあれば天下の御為に容易ならぬ曲者《くせもの》と存じ、当藩の役柄の者に付き纏うところを、ここまで逐《
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