しゃるおつもりか貴殿は……」
「……サア……その時は……とりあえず以前の馳走《ちそう》の礼を述べまして……」
「アッハッハッハッハッハッ……」
 一柳斎は後手《うしろで》を突《つ》いて伸び伸びと大笑した。
「アハアハ。いやそれでよいそれでよい。そこが貴殿の潔白なところじゃ。人間としては免許皆伝じゃ」
 平馬は眼をパチパチさせて恩師の上機嫌な顔を見守った。何か知ら物足らぬような、馬鹿にされているような気持ちで……。しかし一柳斎はなおも天井を仰いで哄笑した。
「アハハハ……これは身どもが不念《ぶねん》じゃった。貴殿の行末を思う余りに、要らざる事を尋ねた。『予《あらかじ》め掻《か》いて痒《かゆ》きを待つ』じゃった。アハアハアハ。コレコレ。酒を持て酒を……サア平馬殿|一献《いっこん》重ねられい。不審顔をせずとも追ってわかる。貴殿ならば大丈夫じゃ。万が一にも不覚はあるまい」

 平馬は南向の縁側へ机を持ち出して黒田家家譜を写していた。一柳斎から「世間|識《し》らず」扱いにされた言葉の端々《はしばし》が気にかかって、何となく稽古を怠けていたのであった。
 その鼻の先の沓脱《くつぬぎ》石へ、鍬《くわ》を荷いだ若党の金作がポカンとした顔付で手を突いた。
「……あの……申上げます」
「何じゃ金作……草取りか……」
「ヘエ……その……御門前に山笠《やま》人形のような若い衆が……参いりました」
「……何……人形のような若衆……」
「ヘエ……その……刀を挿《さ》いて見えました」
「……お名前は……」
「……ヘエ……その……友川……何とか……」
 平馬は無言のまま筆を置いて立上った。今までの不思議さと不安さの全部を、一時に胸の中《うち》でドキンドキンと蘇らせながら……。
 ところが玄関に出てみると最初に見かけた通りの大前髪《おおまえがみ》に水色襟、紺生平《こんきびら》に白|小倉袴《こくらばかま》、細身の大小の柄《つか》を内輪《うちわ》に引寄せた若侍が、人形のようにスッキリと立っていた。すこし日に焼けた横頬を朝の光に晒《さら》しながらニッコリとお辞儀をしたので、こちらも思わず顔を赤めて礼を返さない訳に行かなかった。
 ……これ程に清らかな、人品《じんぴん》のいい若侍をどうして疑う気になったのであろう……。
 と自分の心を疑う気持ちにさえなった。
「……これは又……どうして……」
「お久しゅう御
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