通信員の特質、能力、市内その他の花柳界の情勢、待合、芸者のパトロンの尊名から、今東京で封切られている映画が、いつ頃、どこの社の手で、当地方《こちら》のどこの館にかかるか……なぞいうヤヤコシイ事まで、要するにそこいら中に在りとあらゆる何でもカンでも知っていなければ勤まらない。おまけに競争相手の新聞社の通信、編輯能力、工場の能率なぞいうものを隅から隅まで見透しているという、つまるところ、大艦隊の指揮官級の頭脳で、善悪共に社会のトップのトップを切った記事を撰《よ》りすぐって、ほかの新聞と競争して行かなければならない……と云ったら大抵の人間が眼を眩《ま》わすだろう。そんなドエライ人間が、各新聞社に一人ずつ割当てるほど日本に居るか知らん……と肝を潰すかも知れないが、論より証拠だ。そんな人間が一人でも半分でも居なければ、新聞記事の統一が出来ないのだから仕方がない。
実際一つの新聞の編輯長となると、どんな貧弱な新聞社へ行っても相当の働らき盛りの、生き馬の眼を抜きそうな人間が頑張っている。一筋縄にも二筋縄にもかからない精力絶倫、機略縦横、血もなく、涙も無いといったような超努級《ちょうどきゅう》のガッチリ屋が、熊鷹式の眼を爛々と光らしているものだ。
ところがこの玄洋日報社はドウダ。
見る影も無いビッコの一寸法師で、木乃伊《ミイラ》同然に痩せ枯れた喘息《ぜんそく》病みのヨボヨボ爺《じじい》と云ったら、早い話が、人間の廃物だろう。そいつが煎餅《せんべい》の破片《かけら》みたいな顎に、黄色い山羊髯を五六本生やして、分厚い近眼鏡の下で眼をショボショボさせている姿は、如何に拝み上げても山奥の村長さんか、橋の袂《たもと》の辻占者《うらない》か、浅草の横町でインチキ水晶の印形《いんぎょう》を売っている貧乏おやじが、秋風に吹かれて迷い込んで来たとしか思えないだろう。吾輩みたいな、東京中の新聞社を喰い詰めた、パリパリの摺《す》れっ枯らし記者の上に立つ編輯長とは、どう割引しても思えないだろう。
ところがその山羊髯|老爺《おやじ》がソレでいて、ドコか喰えない感じがする。凄いところが在りそうな気がして、たまらなく薄気味が悪いから怪訝《おか》しい。早い話が昨日《きのう》だってこの老爺《おやじ》は、タッタ一眼、顔を見合わせただけで、どこの馬の骨だか、牛の糞だか判然《わか》らない……しかも悪タレ記者である事を名乗り上げている吾輩を見事手玉に取った上に、黙って七十円の大金を呉れている。むろん吾輩も七十円以上に価する名記事を取るには取った……取らせられたつもりだが、今日会って、改めて御礼を云っても……オヤ、そうでしたか……といったような顔で朝日を輪に吹いている。続いて働らいてくれとか、履歴書を出せとかいうような挨拶を一言もしないで空嘯《そらうそぶ》いている事は昨日の通りである。むろんこっちからも……引続いて雇ってくれるかどうか……なんて念を押すようなヘマはしない。ウッカリ云い出して「別に雇った訳ではありませんが」とか何とかフワリと遣られたら、摺《す》れっ枯らしの沽券《こけん》に拘《かか》わるばかりじゃない。折角《せっかく》あり付きかけた明日のオマンマがフイになる。何とも云わずに図々しく居据わる事だ。そうして追い出そうにも追い出し得ないスバラシイ記事を今日も一つ取る事だ。……そう思い思い編輯室の隣室《となり》の応接間に架けて在る玄洋日報|綴込《とじこみ》を、丸|卓子《テーブル》の上に引出して、前月以来の三面記事を次から次へと引っくり返してみると……。
……あるある………。
福岡県の管轄内だけでも未解決の犯罪記事がウジャウジャ在る。……どうせ田舎の警察と新聞だから、見落しばっかりの手抜かりばっかりで、片端《かたっぱし》から迷宮に逐《お》い込んだのだろう……なんかと思い思い、そんな迷宮事件や尻切蜻蛉《しりきれとんぼ》事件の一つ一つを点検して行くと、目星《めぼ》しい記事がタッタ一つ見付かった。
それは殆んど完全に近い迷宮事件と見える殺人事件であった。手口は極めて残忍な割に犯跡がわからないらしく、既に捜索に次ぐ大捜索後、一箇月を経過している。……ヨシ……コイツを一つ解決して吾輩の腕前を見せてやろう。吾輩一流のヨタやインチキを絶対に用いない地道《じみち》な、五分も隙の無い本格式の探偵法で、ドン底までネタをタタキ上げて、あの山羊髯をギャッと云わせてくれよう。ついでに県下の警察と新聞社の眼球《めだま》を刳《く》り抜いて、押しも押されぬ雷名を轟かしてくれよう。
……事件の内容は極めて簡単である。
去る十一月三日(大正十一年)、の午前中の出来事だ。
福岡市外、箱崎というと有名な筥崎《はこざき》八幡宮の所在地だろう。その八幡宮の横町に在る下駄屋が、まだ寝ていると見えて、表の板戸
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