ば、その眼鏡を三つとも掛けて見つけろ。そうして御飯を食べさせてもらえ」
 と云って、お倉の中へ入れられました。
 お倉の中へ入れられた武雄さんは、大あばれにあばれて泣きましたが、そのうちに泣く力も無くなる位お腹が空いてきました。力も何も無くなって冷たい板張りの上に寝ながら、「ああ、お母さんがいらっしゃると、こんな時には直ぐにあやまって御飯を食べさせて下さるのになあ」と思ってメソメソ泣いておりましたが、その中《うち》に不図《ふと》、最前お父さんが、「そんなにお母さんに会いたければ、その眼鏡を三つともかけて探してみろ」と云われた言葉を思い出しました。
 武雄さんは眼鏡を取り出して三つとも掛けて見ました。けれどもいつまで待っても何も見えません。しかし他にあてもありませんから、眼鏡をかけたままくら暗《やみ》の中にじっとして、お母さんが見えるのを待っておりました。
 すると不思議や、くら暗《やみ》の中になつかしいなつかしいお母さんの姿がありありと見えて来ました。お母さんは悲しそうな顔をして、こうおっしゃいました。
「武雄や、お前はお母さまがいないからといっていたずらをするならば、私はもうお前を児と思いません。お前がお母さんの事を忘れないように、私の心もお前の傍へいつまでもつきまとうております。どんなに蔭でわるい事をしていても、お母さんはちゃんと見ております。お前がわるい事をすればお母さんが笑われるからです。このことを忘れないで、どうぞよい子になってちょうだい。よいか、武雄さん、忘れてはなりませんよ……」
 と云ううちに、みるみるお母さんの姿は消えて見えなくなりました。
「お母さん、待って頂戴。堪忍《かんにん》して頂戴。アレお母さん」
 と叫んで飛びつこうとしますと、これは夢で、いつの間にか武雄さんは床の上でねむっておりました。
 その時お倉の戸があいて、お父さんが、
「さあ武雄、御飯を食べろ。これから悪い事をするときかないぞ」
 とおっしゃいました。
 武雄はそののちこの事をだれにも言いませんでしたが、武雄の音なしくなったのには誰もかれも皆驚いてしまいました。



底本:「夢野久作全集1」ちくま文庫、筑摩書房
   1992(平成4)年5月22日第1刷発行
入力:柴田卓治
校正:もりみつじゅんじ
2000年1月19日公開
2006年2月21日修正
青空文庫作成ファイル:

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