訳ですからね。申すまでもなくリヤトニコフの宝石の事などは、恐ろしい出来事の連続と、烈《はげ》しい傷の痛みのために全く忘れておりましたし、好奇心とか、戦友の生死を見届けるとかいうような有りふれた人情も、毛頭残っていなかったようです。……唯……自分の行く処はあの森の中にしかないというような気持ちで……そうして、あそこへ着いたら、すぐに何者にか殺されて、この恐しさと、苦しさから救われて、あの一番高い木の梢《こずえ》から、真直ぐに、天国へ昇ることが出来るかもしれぬ……というような、一種の甘い哀愁を帯びた超自然的な考えばかりを、たまらない苦痛の切れ目切れ目に往来させながら、……はてしもなく静かな野原の草イキレに噎《む》せかえりながら……何とはなしに流るる涙を、泥だらけの手で押しぬぐい押しぬぐい、一心に左足を引きずっていたようです。……但《ただし》……その途中で二発ばかり、軽い、遠い銃声らしいものが森の方向から聞こえましたから、私は思わず頭を擡《もた》げて、恐る恐る見まわしましたが、やはり四方《あたり》には何の物影も動かず、それが本当の銃声であったかどうかすら、考えているうちにわからなくなりました
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