る私の素描」をここに更《あらた》めて御披露させて頂く事にした。
再び「探偵小説の真使命」について
ところで甚だ卑怯な前置であるが、この一文は私の狭い個性を通じて観た「探偵小説に対する信念もしくは偏見」で万人共通のものではないかも知れない。のみならずそれは現在の私の心境で、明日の私の心境ではないかも知れない。のみならず、それは必然的に私が文芸通信誌に書いた「探偵小説の真使命」と同じ内容もしくは、その註釈みたようなものになってしまうべき性質のものではないかとも思うが、しかし、それが万一にも本誌の愛読者諸君のために……特に甲賀三郎氏の「探偵小説講話」を愛読される諸賢のために――「こんな観点も別にあるのだな」とか又は「これは甲賀氏の所論に対する一種の註釈だな」とかいう意味で、一種の新しい参考となり、目下興隆の機運に向いつつある探偵小説界に投ずる一石ともなり得るならば、私にとって絶対の光栄であり欣快とするところである事を思うて、敢《あ》えてこの蕪文を続行する次第である事を何よりも先に諒恕《りょうじょ》して頂きたい。
文芸通信誌上「探偵小説の真使命」の中で私はコンナ事を書いた。
――自然主義文芸、自由民権思想の行詰まりに続く、探偵小説の行詰まりによって、人類の趣味傾向が遂にドン底を突いてしまった――と――。
これは別に、私が知ったか振りをせずとも、歴史が証明してくれるところである。
個人でも、社会でも、その精神が唯物思想、もしくは虚無思想を根柢とする資本主義文化組織に陥って行くにつれて、その口にしたり発表したりするところが、ますます高尚に、唯心的に向上して行くのとは正反対に、その表面の趣味傾向がグングン低級化して行くのは、争う余地のない厳然たる事実である。古来行われた幾多の革新は、こうした行詰まりを打開し救うべく、そのドン底状態から爆発した一種の自然発火的自爆作用に他ならないので、しかもその結果は、そうした人類の趣味の退化? 動物化? 低級化? を一層深いドン底へと陥るべく役立ちつつ今日に及んで来ている状態は、五・一五事件の当事者ならずとも心ある読史家の斉《ひと》しく認めているところであろう。
大化の革新、源平の争、応仁の乱の例を引く迄もなく、封建制度が生んだ徳川末期の民心の堕落、唯物思想、虚無思想が生んだ、芝居のトリック化、黄表紙文学、あぶな絵、無残
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