ておいたのに……」
「ソ……そいつは勘弁してくれ」
 と大塚警部は眼を丸くしながら、慌てて手を振って飛び退《の》いた。苦笑しいしいハンカチで顔をコスリ廻わした。私は儼然《げんぜん》として坐り直した。
「ウム……君がその了簡ならこっちにも考えがある」
「……マ……マ……待ってくれ。考えるから……」
「考えるまでもないだろう。僕は今日まで一度も君等の仕事の邪魔をしたおぼえはない。秘密は秘密でチャンと守っているし、握ったタネでも君等の方へ先に知らせた事さえある。現に今だって……」
「イヤ。それは重々……」
「まあ聞き給え……現に今だって、自分の書いた記事を肯定しているじゃないか。本当を云うと編輯長以外の人間には、自分の書いた記事の内容を絶対に知らせないのが、新聞記者仲間の不文律なんだぜ、況《いわ》んやその記事を取った筋道まで割って……」
「イヤ。それはわかっとる。重々感謝しとる……」
「感謝してもらわなくともいいから信用してもらいたいね。姉歯という医学士が、善玉か悪玉かぐらい話してくれたって……」
「ウン、話そう」
 大塚警部は又汗を拭いた。帽子を冠り直して一層|身体《からだ》をスリ寄せた。小さな眼をキラキラ光らして声を落した。
「……エエカ。こいつが曝露《ばれ》たら署員《ぶか》が承知せん話じゃがな……姉歯という奴は早川よりも上手《うわて》の悪玉なんだ。エエカ……早川をそそのかして、女を膨《ふく》らましては自分で引き受けて、相手の親から金を絞るのを、片手間の商売にしとるんだ。つまり手切金と、堕胎料と、二重に取って、早川にはイクラも廻わさないらしいのだ。僕の管轄でもかなりの被害者があると見えて、時々猛烈な事を書いた投書が来る」
「ありがとう、それで何もかもわかった。ヨシ子が駄々をこねて、単身《ひとり》で佐賀へ行きかけたのは、どうも少々オカシイと思ったが……そこいらの消息を薄々感付いたんだナ」
「ウン。それに違いないのだ。ちょうど姉歯早川組の奸計《かんけい》と、両親の勘当《かんどう》とで、板挟みになって死んだ訳だナ」
「書きてえナア畜生……夕刊に……大受けに受けるんだがナア……」
「イカンイカン。まだ絶対に新聞に書いちゃいかん」
「アハハハハハ書きゃしないよ。……しかし君等はナゼ姉歯をフン縛らない」
 大塚警部は苦笑した。二三本|白髪《しらが》の交《まじ》った赤い鬚を、自烈度《じれった》そうにひねりまわした。
「手証《てしょう》が上らないからさ。あの姉歯という奴は、大学の婦人科に居《お》った時分から、主任教授に化けて大学前の旅館に乗り込んで、姙婦を診察して金を取った形跡がある。今開いとる産婆学校も、生徒は三四人しか居らんので、内実は堕胎専門に違いないと睨んどるんじゃが、姉歯の奴トテモ敏捷《はしっこ》くて、頭が良過ぎて手におえん。噂や投書で縛れるものなら縛って見よという準備を、チャンとしとるに違いないのだ」
「フーム。この辺の医者の摺《す》れっ枯《か》らしにしてはチット出来過ぎているな」
「そうかも知れん。殊に今度の事件などは、相手が佐賀一の金満家と来とるから、姉歯も腕に縒《より》をかけとるという投書があった。むろん十が十まで当てにはならんが、彼奴《きゃつ》のやりそうな事だと思うて前から睨んではおったんだ」
「投書の出所《でどころ》はわからないか」
「ハッキリとはわからんが、大学部内の奴の仕事という事はアラカタ見当がついとる。早川の今の下宿を世話した奴が、姉歯だという事もチャンとわかっとる。何にしてもヨシ子が子供さえ生めば、姉歯の奴、本仕事にかかるに違いない。二人をかくまっておいて、時枝のおやじ[#「おやじ」に傍点]を脅喝《いたぶ》ろうという寸法だ。だからその時に佐賀署と連絡を取って、ネタを押えてフン縛ろうと思うておったのを、スッカリ打《ぶ》ち毀《こわ》されて弱っとるところだ」
「アハハハハ、大切《だいじ》の玉が死んだからナ」
「ソ……そうじゃない。君がこの記事を書いたからサ。実に乱暴だよ君は……」
「別に乱暴な事は一つも書いていないじゃないか。事実か事実でないかは、色んな話をきいているうちに直覚的にわかるからね。第一この写真が一切の事実を裏書きしているじゃないか」
「そうかも知れん……が、しかしこの記事は軽率だよ」
「怪《け》しからん。事実と違うところでもあるのか」
「……大ありだ……」
「エッ……」
「しかも今のところでは全然事実無根だ」
 私はドキンとして飛び上りそうになった。……早川に直接当らなかったのが手落ちだったかナ……と思うと、立っても居てもいられないような気持ちになった。大塚警部も困惑した顔になって、サアベルの頭をヤケに押し廻したが、やがて私の顔とスレスレに赤い顔を近付けると、酒臭いにおいをプーンとさした。
「実は僕も弱っ
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