切《あぶらぎ》った笑い顔を見ると、私はホッと救われたような気持ちになって、バットを三個《みっつ》ばかり受け取ったが、とりあえず一本引き出して吸口をつけながら、こころみに聞いて見た。
「この向うに花房って家《うち》がありますね」
「ヘエ……」
と私の顔を見たお神さんは、急に笑い顔をやめて、大きくうなずいた。
「あの家《うち》のお嫁さんは死んだんですか」
「ヘエ……」
と云いながらお神さんは、一層|魘《おび》えた表情になって、唾をグッと嚥《の》み込んだ、私は占《し》めたと思いながら帳場に近づいて、火鉢の炭団《たどん》にバットを押しつけた。
「マッチでお点《つ》けなさいまっせえ。炭団では火がつき悪《にく》う御座いますけん」
と云ううちにお神さんは、私の横にベッタリと腰をかけて、マッチの箱をさし出した。このお神さんはあの家《うち》の事を喋舌《しゃべ》りたがっているナ……と私は直覚した。
それから根掘り葉掘りして、私一流の質問を続けてみると、果してお神さんの説明は、一々興味深い新聞種になって行った。但、筋は極めて単純であった。
花房というのは現在、福岡の電燈会社の工夫をやっている男で、昨年の春にオシノという高齢の祖母と、若い嫁女《よめじょ》のツヤ子を連れて、この町内の現在の家に引越して来た者であるが、夫婦仲は云うまでもなく、オシノ婆さんと嫁女のオツヤとの仲が、親身の間柄でも珍らしいくらい睦まじいので、近所の評判になっていた。敬吾がつとめに出かけた留守中に、嫁女のツヤ子がオシノ婆さんの手を引いて、程近い八幡様の境内を散歩させたり、お湯に連れて行く光景などを、近くの人はよく見かけた。敬吾が一時やめていた晩酌を、オシノ婆さんが嫁女にすすめて、無理に又はじめさせたというような噂までも伝わった。
ところがそのうちに嫁女が姙娠したことがわかると、オシノ婆さんは八幡様へ参詣《さんけい》しなくなった。
「お前が転びでもすると私が敬吾に申訳けがない。孩児《ややこ》の着物も私が縫うてやるけに、成るだけ無理をせんようにしなさい。その代りキット男の子を生みなさいよ」
と寝ても醒めても云っていた。嫁女も素直に笑いながら、
「ハイ……キット男の子を生みます」
と請け合っている……という話を、亭主の敬吾が煙草を買いに来たついでに、お神さんに話して聞かせた。
するとそのうちに嫁女がチブスに
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