行くまいが……耶蘇《やそ》教の苅萱道心《かるかやどうしん》みたような事になりはしないか、という母親の懸念であったが、そこは大掴みな豪傑代表が二人も揃っていたので、大請合いに請合って、首尾よく母子《おやこ》二人を連れて博多に戻って来た。直ぐに福岡市大名町に在る赤煉瓦の天主教会へ代表二人で乗込んでこの今様苅萱道心問題を解消さすべく談判を試みる事になったが、そこへ出て来た宣教師のジョリーさんという仏蘭西《フランス》人が、日本人以上に日本語がよくわかる上に、日本人以上に粋《すい》を利かせる人だったので助かった代表二人の喜びと安心は非常なものがあったという。
その時の談判の結果、いよいよ結婚式の当日になると、湊屋の病床を中心にして上座に、新婦と娘、天主教会員、花輪なぞ……下座には着慣れぬ紋付袴の市場連中がメジロ押しに並んだ。が、流石《さすが》に盛装した新婦と娘は、変り果てた夫であり父である仁三郎の姿を見てシクシクと泣いてばかりいた。
そこへ宣教師の正装をしたジョリーさんを先に立てた和洋人の黒服が四五人ばかり、銀色の十字架を胸に佩《お》びてゾロゾロと乗込んで来たので、居住居《いずまい》を崩していた羽織袴連中は、今更のように眼を聳《そばだ》てて坐り直した。
式は型の如く運んだ。ジョリーさんが羅馬《ローマ》綴で書いた式文みたようなものを読み上げる時には皆起立させられたが、モウ足が痺《しび》れて立てない者も居た。
「|吾等の《ウワアルエールアヌオ》……|兄弟が《キヨダイガ》……|神様の《クワミイサアマヌオ》……|思召に《オボスイメスイニ》……|よりまして《イヨルイモアシテイ》……」
というのを、一同は英語かと思って聞いていたという。以下引続いて儀式の模様を、済んだあとからの彼等の帰り途の批評に聞いてみる。
「耶蘇教の婚礼なんてナンチいう、フウタラ、ヌルイ(風多羅《ふうたら》緩《ぬる》い? 自烈度《じれった》いの意)モンや」
「そうじゃない。あれあ大病人の祝言じゃけに、病気に障《さわ》らん様《ごと》、ソロオッと遣ってくれたとたい。毛唐人なあ気の利いとるケニ」
「一番、最初に読んだ分《と》は何じゃったろうかいね」
「あれあ神主がいう高天《たかま》が原たい。高天が原に神づまり在《ま》しますかむろぎ、かむろぎの尊《みこと》――オ……」
「うむ。そういえば声が似とる。成る程わからん事をばいうと思うた」
「ところでそのあとからアイツ共が歌《うと》うた歌は何かいね。オオチニ風琴鳴らいて……」
「花嫁御のお化粧の広告じゃなかったかねえ。雪よりも白くせよなあ……てクタビレたような歌じゃったが……」
「ウム。俺あ西洋洗濯の宣伝かと思うた」
「立てて云うけに俺《おら》あ立って聞きおったら、気の遠うなってグラグラして来た。今《ま》一時間も立っとったなら俺《おら》あ仁三郎より先に天国へ登っとる」
「うむ。長かったのう。あの歌をば聞きおる中《うち》に俺あ、悲あしゅう、情のうなった。この間死んだ嬶《かかあ》が、真夜中になると眠った儘《なり》にアゲナ調子で長い長い屁をば放《こ》きよったが」
「死んだ嬶よりも俺《おら》あ、あれを聴きよるうちに仁三郎がクタビレて死にあしめえかと思うてヒヤヒヤした。歌が済んでからミンナ坐った時にゃホッとした」
「あのあとの御祈祷は面白かったね」
「ウム。面白いといえば面白い。馬鹿らしいといえば馬鹿らしい。(以下|声色《こわいろ》)ああら、我等の兄弟よ! 神様の思召《おぼしめし》に依りまして、チンプンカンプン様の顎タンを結ばれました事は――越中褌《えっちゅうべこ》のアテが外れた時と全く全く同じように、ありがたい、尊い、勿体《もったい》ない、嬉しい嬉しい御恵みで――ありや――す……アーメン。と来たね」
「ようよう、うまいうまい貴様、魚屋よりもキリシタンの坊主になれ、どれ位人が助かるか判らん。あの異人の坊主の云う事を聞きよる内に俺《おら》あ死にたいような気持になったもんじゃが、今の貴様の御祈祷を聞いたりゃ、スウーとしてヤタラに目出度《めでと》うなった。あーら目出度《めでた》や五十六億七千万歳。鶴亀鶴亀」
「あの黒い鬚を生《は》やいた奴は日本人じゃろうか」
「うん、あれがあの女のキリシタンの亭主らしい」
「あいつが篠崎の耳に口ば附けてあなたはこの婦人を愛しますかと云うた時には、俺は死ぬほどおかしかったぞ」
「うん。俺《おら》もマチットで我慢しとった屁をば屁放《へひ》り出すところじゃった。あん時ばっかりは……」
「花嫁御も娘御も泣きござったなあ――」
「そらあ悲しかろう。いくら連れ添うても十日と保《も》たん婿どんじゃけんになあ。太閤記の十段目ぐらいの話じゃなか」
「仁三郎が黙って合点合点する内に、夫婦で指輪《いびがね》ば、取り換えたが、あの時も、可
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