つ》落ちて来て、バラック気分が次第に露骨になって来る。同じ毒々しさにも重みがなくて、今にも剥げチョロけそうである。その中に性懲りもなく建てた化粧煉瓦のセメント建築や、昔の焼け残りの大建築が並んでいるといった塩梅《あんばい》で、この辺迄来ると青空も余程広々と輝いて、往来に近付いて見える。
 震災前まで東京の空は、次から次に建った大建築のために高く高く押し上げられる一方であったが、それが又こうして急に落ちて来た。これを又押し上げるか押し上げぬかは、日本の建築界の将来に於ける興味ある研究問題ではあるまいか。
 裏通りも同様にアケスケな処が殖えて来て、飾も何もないボール箱式が多く、かなりの大きな家をトタン板で貼《はり》固めた、ペスト予防よろしくといったようなのも珍らしくない。
 この程度のバラックが神田あたりまで続いているが、一度万世橋と東京駅を連ねる高架線のガードを潜ると、又一段と安っぽくなって来る。
 表通りか銀座の裏通りか、もしくは日本橋辺のソレ以下になって来て、その中に名高い呉服屋や老舗のシッカリしたバラックがチラホラとまじっている。北海道あたりの新開町でもこれ位の処はザラにありそうに見える。
 外神田の河岸近くの一帯は、あの大火に不思議に焼け残ったのであるが、その黒い土蔵や、昔風の瓦葺《かわらぶ》きの屋根、寂《さ》びた白壁などが並んだ落ち付いた町並みと、柳原あたりの(この辺は昔もあまり立派な町並みではなかったが)バラックを見比べると、坐《そぞ》ろに今昔の感に打たれざるを得ない。

     一年後の死骸臭

 上野に近付くと、バラックの趣が又違って来る。銀座あたりのソレがどことなく気取って、勿体ぶっているのに反して、無暗《むやみ》に大きな看板や、家に不似合な強烈な電燈を並べた店が、広小路を中心に高く低く並んで安ッポイ派手な気分を見せている。これは処柄《ところがら》から止むを得ないであろう。尤《もっと》もそのウラには、寧ろ貧民窟に近い長屋式の家が、ゴチャゴチャしている事が表通りから見える。
 ここから電車通りを菊屋橋伝通院の方へ、平凡なバラック気分を通り抜けると浅草へ来る。
 ここへ来ると又ガラリとバラック振りが違って、内容も外飾りも只派手一方になる。真に五色五彩、眼も眩《くら》むばかりで、何の事はない、児童の絵本の中を行くような気がする。正にバラックの「安ッポサ」と「アクドサ」を極度に発揮したものである。これも処柄《ところがら》とはいいながら、あまり甚だしいのでギョッとするようなのも珍らしくない。
 この気分の中心は、無論、浅草の第六区であるが、ここは論外である。
 尤も論外と云えば浅草全体が論外かも知れぬが、震災後はそれが一層甚だしくなった。ヘドの出そうな建築の彩り、眼の玉を引っ掴む広告、耳にたたき込む音楽、魂を奪わねば止まぬ旗や、看板なぞが、押し合いヘシ合い競争をして、気も遠くなる程バラック気分を煽《あお》り立てている。その安ッポさ……物凄さ……。
 ところが吾妻橋を渡って河一すじ向うに行くと、ガラリと別世界に来たような気持ちになる。
 深川のセメント、安田邸、日本ビールなぞいう大建築がチラリホラリとしているだけで、あとは二階さえない位の安バラックや、震災当時のままの掘立小屋、又はそれ以下の乞食にも劣る「屋根石――十間板」のつながりである。
 しかもそれがベタ一面にあるわけではない。震災後まだ草も生え込み得ない焼け土の空地が到る処にあって、甚だしきに到っては、震災当時この辺に漲っていた死骸のにおいを残しているところもある。
 このにおいは、震災直後の東京を見た人たちの鼻に死ぬまで付いているのだそうで、云うに云われぬ陰惨な気持ちを暖《あたた》むるものである。
 記者が今度東京に来た初めに、「鍛冶橋から日本銀行へ行く河岸をあるいて見ろ、死骸のにおいがするから」と云われて行って見たら、成る程忘れもせぬにおいがした。しかし、まさか丸一年も経った今日この頃まで、こんなにおいがする筈はないと疑っていたが、この辺へ来て見るといかにも間違いないと思った。この辺にあった死骸はみんな半焼けになっていたので、腐りかねているのかも知れないが、とにかくいい気持ちでない。その酢っぱい腥《なまぐさ》いにおいは、バラックの生々しい赤や青の屋根の間を仄《ほの》かに漂うて、云うに云われぬイヤラシイ深刻な気分を作っている。小雨の降る夜中なぞはとても平気で通れまいと思われるような処もある。
 序《ついで》に書いておくが、この辺は震災前まで「河向う」と云われていた……今でも河向うには相違ないが……日本橋、京橋、神田なぞいう江戸ッ子の本場で商売をしくじった連中の逃げ込み処であった。しかも一度この「河向う」へ落ちて来た江戸ッ子は、二度と再びこの河を越えて一旗揚げた例
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