私の背後はるかな峯の頂から、斜めに辷り降りて来たオレンジ色の太陽の光が、忠平の死骸と私たちに流れかかった。
忠平の顔一面に貼り付いていた銀色の氷の粉末が、見る見る溶けて水の小粒となり、露を結んで肌を濡らしつつ流れ落ちた。ちょうど、青ざめた顔が一面に汗をかいているように見えた。
私たちは、こうした忠平の死面《デスマスク》に現われる、極めて自然的な現象を、いい知れぬ崇高な奇蹟に直面させられたような気持で、一心に合掌しつつ見下していた。
そのうちに今までヒッソリと閉じて氷結していた忠平の眼が、太陽に照されたせいであろう。ウッスリと開き初めて、永遠の静けさを具象《あらわ》す白眼と黒眼が、なごやかに現われ初め、固い一文字を描いていた唇が心持ほころびて、白い歯並がキラキラと輝き現われた。忠平の顔面に残っていた苦悶の表情が、あとかたもなく緩み消えて、死人のみが知る極楽世界の静かな静かな満足をひそやかに微笑んでいるかのような、気高い、ありがたい表情になった。
私は自分の顔を両手で蔽うた。感激の涙をあとからあとから指の間に滴らした。
村の人々も、忠平の枕元の雪の中に坐り込んだ。
「南無《なむ》南無南無南無南無南無南無」
底本:「夢野久作全集4」ちくま文庫、筑摩書房
1992(平成4)年9月24日第1刷発行
初出:「逓信協会雑誌」
1935(昭和10)年10月号
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2005年9月17日作成
青空文庫作成ファイル:
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