り迎えをしておられるように見えました。
 この事はむろんこのアパートの七不思議の一つに数えられているのでしたが、或る時、お隣りのミセスがチョットしたものを借りに来た序《ついで》に、さり気なくこのことを尋ねてみますと、フラウはみるみる首のつけねまで真赤になりながら、うつ向き勝ちにこう答えられるのでした。
「主人はわたくし達の結婚式の晩から、もうどこかへ消え失せて行くのでした。そうして帰って来た時はいつでも二日酔いをして、妾に介抱ばかりさせるのでした。
 妾はこうした主人の大ビラな仕打ちに対して長いあいだ何事も申しませんでした。妾は主人よりほかに男の方を存じませんでしたので、もしかしたら妾がわるいのじゃないかしらんと思って、心をつくして仕えましたが、それでも、どうしても主人の他所《よそ》泊りが止みませんでした。
 そのうちに妾のそうしたウップンが、とうとう破裂する時が来ました。妾はその時にキチガイのように喋舌《しゃべ》りつづけました。洪水《おおみず》のように涙を流しながら、今までの主人の横暴を一々数え上げて行きましたが、そのうちにとうとう口が利けなくなって、ベッドの上に突伏《つっぷ》しますと、それまで黙って聞いておりました主人は、やがてタッタ一こと申しました。
「お前の云い分はそれだけか」
 妾は口の中で「ハイ」と答えながら涙の顔を上げました。すると主人はその妾の横頬をイキナリ眼も眩《くら》むほどハタキつけました。
 ……スパ――――ン……と……。
 そうしてそのまんま、どこかへ泊りに行きました。
 妾は、それからというものホントウに無条件で、身も心も主人に捧げるようになりました。
 ……ホントウニ男らしい……」
 フラウの眼に、涙が一パイに浮き上りました。



底本:「夢野久作全集3」ちくま文庫、筑摩書房
   1992(平成4)年8月24日第1刷発行
入力:柴田卓治
校正:江村秀之
2000年7月4日公開
2006年3月6日修正
青空文庫作成ファイル:
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