ました。つまり御主人にどのように親切にされてもポーッとならず、ドンナに御機嫌を取られてもスッカリ嬉しがらない稽古をされました。これはマダムにとっては最も困難なお稽古と考えられておりましたが、それでもとうとう一生懸命で成功されました。いつもスマアして、ニコニコした、しなやかな心で御主人を迎えられるようになりました。
 ところでマダムの御主人は、いつも夕方の五時ごろ(それは御主人のリファインされたアタマで撰定された、最も適当と認められる時間)にお帰りになるのでしたが、出迎えられたマダムは、いつも待合の仲居か、ホテルのボーイのように無感激に……しかも上品にスラスラと御主人の身のまわりのお世話をされました。そうして御主人からのお尋ねがないかぎり、クダクダしい家事向きの事なぞはコレンバカリも話されずに、やはりニコニコしながら夕飯の御膳にさし向われるのでした。
 その間にはタッタ一つの技巧しかありませんでした。
 ……スマアしてニコニコしている……という無技巧の技巧……
 マダムはうしろ暗いところがないだけに、この無技巧の技巧を、御主人よりもイクラか楽につとめられるのでした。
 しかもそこが又タッタ一つのマダムのつけ[#「つけ」に傍点]目なのでした。
 御主人はもとより、心にうしろ暗いところのある時に限って、特別に御自身一流の無技巧の技巧を装うてお帰りになるのでしたが、それでもマダムの無技巧の技巧に対しては、いつもチョットの違いで勝ち目を譲られるのでした。
 ……ハテナ……感付いているのかしらん……いないのかしらん……
 と考えられるだけでも御主人は著しい引け目を感じられるのでした。そうして、その引け目を蔽いかくすべく、御主人は色々な技巧を弄《ろう》されるのでしたが、弄すれば弄するほど技巧が技巧らしく見え透《す》いて来そうになる事を、御主人はオツムがクリヤなだけそれだけクリヤに感じられるのでした。しかも御主人としては、それを是非とも蔽いかくさねばならぬ立場になっておられるだけ、それだけにイヨイヨ技巧の破綻をあらわされることになるのでした。
 ……時々、他家《よそ》へ行ったような気持ちになって、鼻の頭を撫でたくなったり……
 ……妙なところで咳払いが出かかったり……
 ……留守中の出来事を尋ねられる言葉づかいや声の調子が、どうしてもわざとらしい切り口上になりかけたり……
 ……マ
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