ったと思うと、普通の人間の片足がする通りに、ヒョコリヒョコリと左手の窓の方へ歩き出した。
私の心臓が二度ばかりドキンドキンとした。そうしてそのまま又、ピッタリと静まった。……と思うと同時に頭の毛が一本一本にザワザワザワザワと動きまわりはじめた。
そのうちに私の右足は、そうした私の気持を感じないらしく、悠々と四足か、五足ほど歩いて行ったと思うと、窓の下の白壁に、膝小僧の肉腫をブッ付けた。そこで又、暫《しばら》くの間フウラリフウラリと躊躇《ちゅうちょ》していたが、今度は斜《ななめ》に横たおしになって、切っ立った壁をすこしずつ、爪探《つまさぐ》りをしながら登って行った。そうしてチョウド窓枠の処まで来ると、框《かまち》に爪先をかけながら、又もとの垂直に返って、そのまま前後左右にユラリユラリと中心を取っていたが、やがて薄汚れた窓|硝子《がらす》の中を、影絵のようにスッと通り抜けると、真暗い廊下の空間へ一歩踏み出した。
「……ア…アブナイッ……」
と私は思わず叫んだが間に合わなかった。私の右足が横たおしになって、窓の向う側の廊下に落ちた。森閑《しんかん》とした病院じゅうに「ドターン」という反響を作りながら………………。
「モシモシ……モシモシイ」
と濁った声で呼びながら、私の胸の上に手をかけて、揺すぶり起す者がある。ハッと気が付いて眼を見開くと、痛いほど眩《まぶ》しい白昼《まひる》の光線が流れ込んだので、私は又シッカリと眼を閉じてしまった。
「モシモシ。新東《しんとう》さん新東さん。どうかなすったんですか。もうじき廻診ですよ」
という男の胴間声《どうまごえ》が、急に耳元に近づいて来た。
私は今一度、思い切って眼を見開いた。シビレの切れかかったボンノクボを枕に凭《もた》せかけたまま、ウソウソと四周《あたり》を見まわした。
たしかに真昼間《まっぴるま》である。奎洋堂病院の二等室である。タッタ今、夢の中………どうしても夢としか思えない……で見た深夜の光景はアトカタも無い。今しがた私の右脚が出て行った廊下の、モウ一つ向うの窓の外には、和《な》ごやかな太陽の光りが満ち満ちて、エニシダの黄色い花と、深緑の糸の乱れが、窓|硝子《がらす》一パイになって透きとおっている。その向うの、ダリヤの花壇越しに見える特等病室の窓に、昨日《きのう》までは見かけなかった白麻の、素晴らしいドローンウォークのカーテンが垂れかかっているのは、誰か身分のある人でも入院したのであろうか……。
ふり返ってみると右手の壁に、煤《すす》けた入院規則の印刷物が貼り付けてある。「医員の命令に服従すべし」とか「許可なくして外泊すべからず」とか「入院料は十日目|毎《ごと》に支払うべし」とかいう、トテモ旧式な文句であったが、それを見ているうちに私はスッカリ吾《われ》に還《かえ》る事が出来た。
私はこの春休みの末の日に、この外科病院に入院して、今から一週間ばかり前に、股の処から右足を切断してもらったのであった。それは、その右の膝小僧の上に大きな肉腫が出来たからで、私が母校のW大学のトラックで、ハイハードルの練習中にこしらえた小さな疵《きず》が、現在の医学では説明不可能な……しかも癌《がん》以上に恐ろしい生命《いのち》取りだと云われている、肉腫の病原を誘い入れたものらしいという院長の説明であった。
「ハッハッハッハッ………どうしたんですか。大層|唸《うな》っておいでになりましたが。痛むんですか」
今しがた私を揺り起した青木という患者は、こう云って快闊《かいかつ》に笑いながら半身を起した。私も同時に寝台の上に起き直ったが、その時に私はビッショリと盗汗《ねあせ》を掻《か》いているのに気が付いた。
「……イヤ……夢を見たんです……ハハハ……」
と私はカスレた声で笑いながら、右足の処の毛布を見た。……がもとよりそこに右足が在《あ》ろう筈は無い。ただ毛布の皺《しわ》が山脈のように重なり合っているばかりである。私は苦笑も出来ない気持ちになった。
「ハハア。夢ですか。エヘヘヘヘ。それじゃもしや足の夢を御覧になったんじゃありませんか」
「エッ……」
私は又ギックリとさせられながら、そう云う青木のニヤニヤした鬚面《ひげづら》をふり返った。どうして私の夢を透視したのだろうと疑いながら、その脂肪光りする赤黒い顔を凝視した。
この青木という男は、コンナ奇蹟じみた事を云い出す性質《たち》の人間では絶対になかった。長いこと大連に住んでいるお蔭で、言葉付きこそ少々|生温《なまぬる》くなっているけれども、生れは生《き》っ粋《すい》の江戸ッ子で、親ゆずりの青物屋だったそうであるが、女道楽で身代《しんだい》を左前にしたあげく、四五年前に左足の関節炎にかかって、この病院に這入《はい》ると、一と思いに股《もも》
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