《つか》えてしまった。
……何秒か……何世紀かわからぬ無限の時空が、一パイに見開いている私の眼の前を流れて行った。
………………………………………………。
「……お兄さま……お兄様、お兄様……オニイサマってばよ……お起きなさいってばよ……」
………………………………………………。
……私はガバと跳《は》ね起きた。……そこいらを見まわしたが、ただ無暗《むやみ》に眩《まぶ》しくて、ボ――ッと霞んでいるばかりで何も見えない。その眼のふちを何遍も何遍も拳固《げんこ》でコスリまわしたが、擦《こす》ればこする程ボ――ッとなって行った。
その肩をうしろから優しい女の手がゆすぶった。
「お兄様ってば……あたしですよ。美代子ですよ。ホホホホホ。モウ九時過ぎですよ。……シッカリなさいったら。ホホホホホホ」
「……………」
「お兄様は昨夜《ゆうべ》の出来ごと御存じなの……」
「……………」
「……まあ呆れた。何て寝呆助《ねぼすけ》でしょう。モウ号外まで出ているのに……オンナジ処に居ながら御存じないなんて……」
「……………」
「……あのねお兄様。あのお向いの特等室で、歌原男爵の奥さんが殺されなすったのよ。胸のまん中を鋭い刃物で突き刺されてね。その胸の周囲《まわり》に宝石やお金が撒き散らしてあったんですって……おまけに傍《そば》に寝ていた女の人達はみんな麻酔をかけられていたので、誰も犯人の顔を見たものが居ないんですってさ」
「……………」
「……ちょうど院長さんは御病気だし、副院長さんは昨夜《ゆうべ》から、稲毛の結核患者の処へ往診に行って、夜通し介抱していなすった留守中の事なので、大変な騒ぎだったんですってさあ。犯人はまだ捕《つか》まらないけど、歌原の奥さんを怨《うら》んでいる男の人は随分多いから、キットその中《うち》の誰かがした事に違い無いって書いてあるのよ。妾《わたし》その号外を見てビックリして飛んで来たの……」
妹の声が次第に怖《おび》えた調子に変って来た。
するとその向うからモウ一つ大きな、濁《にご》った声が重なり合って来た。
「アハハハハハハ。新東さん。今帰りましたよ。あっしも号外を見て飛んで帰ったんです。ヒョットしたら貴方じゃあるめえかと思ってね、アハハハハハ。イヤもう表の方は大変な騒ぎです。そうしたら丁度玄関の処でお妹さんと御一緒になりましてね……ヘヘヘヘ……
前へ
次へ
全45ページ中44ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング