、クロロフォルムの瓶をあすこに置いたのも貴様かも知れない。……男爵未亡人を凌辱《りょうじょく》したのも貴様に違い無い。そうして残虐を逞《たく》ましくして茶革の懐中《かみいれ》を奪って、俺の処へ……イヤ……イヤ……そうじゃない。そうじゃないんだ。……俺は決して嘘は云わない。俺は今夜偶然に夢中遊行を起したのだ。そうしてあの室《へや》に行って、四人の女を麻酔さして、未亡人の繃帯と帯とを切ったに違い無いのだ。けれども、それ以上の事は何もしていなかった……それ以上犯罪に属する仕事は……みんな貴様がした事なんだ。宿直員の話でも、その宝石に残っている俺の指紋の一件でも、ミンナ貴様の出まかせの嘘ッパチなんだ。貴様はただ偶然に、昨日《きのう》の昼間、標本室に這入って行く俺の姿を見付けたに過ぎないんだ。それから今夜も、歌原未亡人の容態を監視するつもりか何かで、この病院に居残っているうちに、又も偶然に、俺の夢中遊行を見付けたので、あとからクッ付いて来て様子を見届けているうちに思い付いて、スッカリ計画を立ててしまったのだ。そうして俺が出て行ったあとでソノ計画通りにヤッツケて、一切の罪を俺に投げかけて、俺の口を閉《ふさ》ごうという巧《たく》らみの下《もと》に、わざわざこの室《へや》まで押しかけて来て……イヤッ……ソ……そうじゃないんだッ……。そ……そんな事じゃないんだッ……」
私は突然に素晴らしいインスピレーションに打たれたので、片膝を叩《たた》いて飛び上った。
私は私自身が徹底的に絶対無限に潔白である事を、遺憾《いかん》なく証明し得るであろう、そのインスピレーションを眼の前に、凝視したまま、躍り上らむばかりに喚《わ》めき続けた。
「……オ……俺は何にもしていないんだ。昨日《きのう》の夕方からこの室《へや》を出ないんだぞッ……チ畜生ッ……コ……この手拭は貴様が濡らしたんだ。その茶革のサックも貴様が持って来たんだ。そうして貴様はやっぱり催眠術の大家なんだッ」
「……………」
「俺はこの事件と……ゼ絶対に無関係なんだ……。俺は貴様の巧妙な暗示にかかって、昨日《きのう》の午後から今までの間、この寝台の上で眠り続けていたんだ。そうして貴様から暗示された通りの夢を見続けていたんだ。夢遊病者が自分で知らない間《ま》に物を盗んだり、人を殺したりするという実例を貴様から話して聞かせられた……その通りの事
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