方が持っておられると大変な事になりますから、とりあえず私がお預かりして行くのです。もう間もなく、あの特等病室の汚れた藁蒲団《わらぶとん》を、人夫が来て片付ける筈ですから、その時に私が立ち会って、寝床の下から出て来たようにして報告しておいたらドンナものかと考えているところですが……むろんその前にこの中の指紋をキレイにしておかなければ何もなりませんが……ドチラにしても死んだ人には気の毒ですが、今更取返しが付かないのですから、後はこの病院の中から縄付きなどを出さないようにしなければなりません。すぐに病院の信用に響いて来ますからね……いいですか。……忘れてはいけませんよ。今夜の事はこの後《のち》ドンナ事があっても、二度と思い出してはいけない……他人に話してはならない。勿論お妹さんにも打ち明けてはいけません……という事を……」
そう云ううちに副院長は、ジリジリと後しざりをした。そうして扉《ドア》のノッブに凭《よ》りかかったらしく、ガチャリと金属の触れ合う音がした。
その音を聞くと同時に、ベッドの上にヒレ伏したままの私の心の底から、形容の出来ない不可思議な、新しい戦慄《せんりつ》が湧き起って、みるみる全身に満ちあふれ初めた。それにつれて私は奥歯をギリギリと噛み締めて、爪が喰い入る程シッカリと両手を握り締めさせられたのであった。
しかし、それは最前のような恐怖の戦慄ではなかった。
……俺は無罪だ……どこまでも晴天白日の人間だ……
という力強い確信が、骨の髄までも充実すると同時に起った、一種の武者振るいに似た戦慄であった。
その時に副院長が後手《うしろで》で扉《ドア》のノッブを捻《ねじ》った音がした。そうして強《し》いて落ち付いた声で、
「……早く電燈を消してお寝《やす》みなさい。……そうして……よく考えて御覧なさい」
という声が私を押さえ付けるように聞えた。
途端《とたん》に私は猛然と顔を上げた。出て行こうとする副院長を追っかけるように怒鳴った。
「……待てッ……」
それは病院の外まで聞えたろうと思うくらい、猛烈な喚《わ》めき声であった。そう云う私自身の表情はむろん解らなかったが、恐らくモノスゴイものであったろう。
副院長は明かに胆《きも》を潰《つぶ》したらしかった。不意を打たれて度を失った恰好で、クルリとこっちに向き直ると、まだ締まったままの扉《ドア》を小
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