セッカイをしない限り、永久に清浄な身体《からだ》でおられるのです。すくなくとも社会的には晴天白日の人間として、大手を振って歩けるのです。……けれども貴方御自身の良心と同時に、私の眼を欺《あざむ》く事は出来ないのですよ。いいですか。……私は特一号室の出来事を耳にすると同時に、何よりも先に貴方の事を思い出しました。昨日の午前中に、貴方を回診した時の事を思い出したのです。あの夢遊病の話を聞いておられた貴方の、異様に憂鬱な表情を思い出したのです。そうして誰よりも先に貴方に疑いをかけながら、自動車を飛ばして来たのです。……そうして歌原未亡人の死体を家人に引き渡すとすぐに、病室の取片付《とりかたづ》け方を看護婦に命じて、新聞記者が来ても留守だと答えるように頼んでから、コッソリと裏廊下伝いにこの室《へや》に来て、貴方の寝台のまわりを手探りで探したのです。盗まれた茶皮のサックがどこかに隠して在りはしまいかと思って。
……ところで私は先ず第一に、あなたの枕元に在る、その西洋手拭いを掴んでみたのですが、果せる哉《かな》です。タッタ今手を拭いたように裏表から濡れておりました。貴方がズット以前から熟睡しておられたものならば、そんな濡れ方をしている筈はないのです。それから私は気が付いて、あの向うの二等病室づきの手洗い場に行ってみましたが、手洗い場の龍口栓《コック》は十分に締まっていない上に、床のタイルの上に水滴が夥《おびただ》しく零《こぼ》れておりました。多分貴方は、コンナ事は怪しむに足りない。よくある事だからと思って、故意《わざ》とソンナ風にして血痕を洗われたのかも知れませんが、私の眼から見るとそうは思われません。血痕という特別なものを、そこで洗い落された貴方が、貴方自身の心の秘密を胡麻化《ごまか》すためにそうされたので、頭のいい、技巧を弄《ろう》し過ぎた洗い方だとしか思われないのです。
……私はそれから正面に三つ並んでいる大便所を、一つ一つに開いてみましたが、あの一番左側の水洗式の壺の中に、キルクの栓が一個浮いているのを見逃しませんでした。マッチを擦《す》ってみると、その水の表面にはホコリが一粒も浮いていない。つまり最近に流されたものである事を確かめて、イヨイヨ動かす事の出来ない確信を得ました。貴方はあの特一号室から出て来て、この室《へや》に品物を隠された後《のち》に、あすこに行って
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