く退院したい……外の空気を吸いたい……と思い思い眼をつぶると、眼の前に白いハードルが幾つも幾つも並んで見えた。私にはもう永久に飛び越せないであろうハードルが……。
 私はすっかりセンチメンタルになりながら、切断された股《もも》の付け根を、繃帯《ほうたい》の上から撫でて見た。そうして眠るともなくウトウトしていると、突然に又もや扉《ドア》の開《あ》く音がして、誰か二三人這入って来た気はいである。
 眼を開いて見るとタッタ今噂をしていた柳井副院長が、新米《しんまい》らしい看護婦を二人従えて、ニコニコしながら近づいて来た。鼻眼鏡をかけた、背のスラリと高い、如何《いか》にも医者らしい好男子であるが、柔和な声で、
「どうです」
 と等分に二人へ云いかけながら、先ず青木の脚の繃帯を解《と》いた。色の黒い毛ムクジャラの脛《すね》のあたりを、拇指《おやゆび》でグイグイと押しこころみながら、
「痛くないですな……ここも……こちらも……」
 と訊《き》いていたが、青木が一つ一つにうなずくと、フンフンと気軽そうにうなずいた。
「大変によろしいようです。もう二三日模様を見てから退院されたらいいでしょう。何なら今日の午後あたりは、ソロソロと外を歩いてみられてもいいです」
「エッ。もういいんですか」
「ええ。そうして、痛むか痛まないか様子を御覧になって、イヨイヨ大丈夫ときまってから、退院されるといいですな。御遠方ですから……」
 青木は乞食みたいにピョコピョコと頭ばかり下げたが、よっぽど嬉しかったと見える。
「お蔭様で……お蔭様で……」
 そう云う青木を看護婦と一緒に、尻目にかけながら副院長は、私の方に向き直った。そうして一《ひ》と通り繃帯の下を見まわると、看護婦がさし出した膿盤《のうばん》を押し退《の》けながら、私の顔を見て、女のようにニッコリした。
「もうあまり痛くないでしょう」
 私は無愛想にうなずきつつ、ピカピカ光る副院長の鼻眼鏡を見上げた。又も、何とはなしに憂鬱《ゆううつ》になりながら……。
「体温は何ぼかね」
 と副院長は傍《そば》の看護婦に訊いた。
 私は無言のまま、最前《さっき》から挟んでおいた体温器を取り出して、副院長の前にさし出した。
「六度二分。……ハハア……昨日《きのう》とかわりませんな。貴方も経過が特別にいいようです。スッカリ癒合《ゆごう》していますし、切口の恰好も理想
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