。さ、お前のお母さんはお金をどこに仕舞っているか。言わないとこれで殺してしまうぞ」
 と言いました。
 チエ子さんは、
「お母さん」
 と泣きながら逃げ出しました。
「このやつ、逃げたな」
 と泥棒はいきなり追っかけてチエ子さんを捕まえようとしました。
 その時ブーンと唸《うな》って一匹の虻が飛んで来て、泥棒の眼の前でブルンブルンブルンとまわり始めました。
 泥棒は邪魔になるので、
「こんちくしょう、こんちくしょう」
 と払い除《の》けようとしましたが、なかなか払い除けられません。
 そのうちにチエ子さんは、
「お母さん、お母さん」
 と叫びながら障子を開けてお縁の方に逃げて行きます。
「逃がしてなるものか」
 と泥棒は一所懸命となって、とうとう虻をタタキ落として追っかけてゆきました[#「追っかけてゆきました」は底本では「追っかけてゆました」]。
 そうすると虻はタタキ落とされてちょっと死んだようになりましたが、又飛び上って泥棒の足へ飛びついて力一パイ喰いつきました。
「アイタッ」
 と泥棒はうしろ向きに立ち止まる拍子にお縁から足を辷《すべ》らして、石の上に落っこちて頭をぶって眼をまわしてしまいました。
 そのうちにチエ子さんは表へ出て、通りがかりのお巡査《まわり》さんにこの事を言いましたので、泥棒はすぐに縛られてしまいました。
 お母さんがお帰りになってこのお話をおききになると、涙をこぼしてチエ子さんを抱きしめておよろこびになりました。
 その時にチエ子さんはお縁側を見ると一匹の虻が死んで落ちておりました。
「お母さん、御覧なさい。この間の虻が泥棒を刺したのよ。あたしが助けてやったお礼をしてくれたのよ」
 と言いました。
 お母さんはおうなずきになりました。そうして晩方お父さんがお帰りになってお母さんがこのお話をされますと、お父さまはチエ子の頭を撫でながら、
「あぶとお話した子は世界中でチエ子一人だろう」
 とお笑いになりました。
 チエ子さんは虻のお墓を作ってやりました。



底本:「夢野久作全集7」三一書房
   1970(昭和45)年1月31日第1版第1刷発行
   1992(平成4)年2月29日第1版第12刷発行
初出:「九州日報」
   1925(大正14)年9月13−15日
※底本の解題によれば、初出時の署名は「香倶土三鳥」です。
入力:川山隆
校正:土屋隆
2007年7月21日作成
青空文庫作成ファイル:
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