ェ多いらしいんです。又は持って帰って読んでみると大した本でも珍らしい本でもなかったらしいんですね。ですから何も良心に背反《そむ》いてまで泥棒して来るほどのシロモノじゃなかった……と思って返しにお出でになるんだか……それとも最初からチョット借りて、中味の減らないようにソーッと読んで、返して下さるおつもりだったのかどうだか、ソノ辺のところがコチラでは何とも見当が附きかねますがね。良心があるんだかないんだか、紳士的なんだか、超特級の泥棒根性なんだか……無賃乗車で行って用を足して引返して来て、乗らない顔をしているみたいなもので、ややこしい心理状態もあればあるものですね。
 ヘエヘエそれあ、まったく返って来ないのも随分ありますよ。そんなお顔はコチラでチャント存じておりますがね。そこが商売冥利って奴で、黙って知らん顔をしております。元値を考えたら大したもんじゃ御座んせんしね。ショッチュウ気を付けてケースの中味が在るか無いか調べなくちゃならないのが面倒臭い位のもんでさ。そうして中味が変っているか、抜けているかしている本の前に立っておられた方を、あの方、この方と思い出しているうちに、だんだんお人柄がわかって参りますから不思議なもンで……この間コンナのがありましたよ。これは又物スゴイ、素敵な本でしたが……。
 ××医専の生徒さんが夏休みに持込んで御座った本だったと思いますがね。御本人は××の××の方で、先祖代々から伝わって来た聖書だと仰言ってね。一冊三円で頂戴いたしましたが、例の通り店番の片手間にここに座ってよく調べてみますと驚きましたね。チョット見ると活字みたいですが、一六二六年に英国で出来た筆写本なんです。紙が又大した紙でね。日本の百円札みたいなネットリした紙にミッチリと書詰《かきつ》めたもので、黒い線に青と赤の絵具を使った挿絵まで這入っているんですから、それだけでも大層な珍本でげしょう。
 ところがソレだけの事なら私《あっし》も格別驚きません。金さえ出せば日本内地でも、相当にお眼にかかれるシロモノなんですが、肝を潰したのは、その聖書の文句でげす。あれが悪魔の聖書とでもいったものでしょうか……これこそ世界中にタッタ一冊しかないと噂に聞いたシュレーカーのBOOK OF DEVIL PRAYER(外道祈祷書)かと思うと私《あっし》は気が遠くなって、真夏の日中にガタガタ震え出したものでげす。
 ヘエ……先生はソンナ書物《ほん》の事をお聞きにならない。ヘエ。そうですか。著者の名前はたしかデュッコ・シュレーカーと読むんだろうと思いましたがね。むずかしい綴りの名前でしたっけが……何でも百年ばかり前の事だそうですがね。有名な英国のロスチャイルドってえ億万長者の二男でしたか三男でしたかが十万ポンドの懸賞付きで探したことがあるってえ仲間の無駄話を、東京に居る時分に小耳に挟んでいるにはおりましたがね。マサカその実物《ほんもの》に、お眼にかかろうたあ思いませんでしたよ。
 ヘエ。表紙はズット大型の黒い皮表紙なんで……HOLY・BIBLEと金文字の刻印が打込んであって、牛だか馬だかわかりませんが、頑丈な生皮の包箱《ケース》に突込んであります。その包箱《ケース》の見返しの中央にMICHAEL・SHIROと読める朱墨と、黒い墨の細かい組合わせ文字の紋章みたいなものが、消え消えに残っているところを見ますと、私《あっし》のカンでは多分天草一揆頃日本に渡って来て、ミカエル四郎と名乗る日本人が秘蔵してたものじゃないか知らんと……ヘエヘエ。その四郎が天草四郎だったらイヨイヨ大変ですがね。
 ヘエヘエむろんそうですとも。その学生さんは何も知らずに普通の聖書と思って売りに見えたに相違御座んせん。聖書なんてものは信心でもしない限り滅多に読んでみる気がしないものですし、その本を持ち伝えた先祖代々の人も、それがソンナ本だって事を云い伝える事も出来ずに、土蔵《おくら》の奥に仕舞い込んで御座ったんでげしょう。そいつをあの学生さんがホジクリ出して……何だコンナ物、売っチャエ。バアへでも行っちゃえテンで、私《あっし》の処を聞いて持込んでいらっしたものでしょう。聖書なんてものは、今の学生さんにはオヨソ苦手なもんですからね。中味をどこかの一行でも読んでたら持って来る気づかいありませんや。今頃はスッカリ悪魔になり切っちゃって学校なんか止しちゃって、桃色ギャングか何かでブタ箱にでもブチ込まれているでしょうよ。ヘヘヘ……その学生さんの名前とお処はチャント控えておりますから、その中に××のお宅へお伺いしたらキットまだまだ面白い掘出し物があるに違いないと思ってこの二、三日ウズウズしているんですがね。ヘヘヘ。
 中味の読出しは、みんな細かい唐草模様の花文字で、途中のチャプタの切り工合から中みだしなんかスッカリ真物《ほんもの》の聖書の通りですし、創世記のブッ付けの四、五行ぐらいはヤッパリ本物の聖書の文句通りですから、誰でも一パイ喰わされるのですが、その四、五行目からの有り難い文句が、イキナリ区切りも何もなしに、トテモ恐ろしい文句に変って来るのです。つまり悪魔の聖書と申しますか。外道祈祷書と申しますか。ソイツを作り出したシュレーカーっていう英国の僧侶《ぼう》さんが、自分の信仰する悪魔の道を世界中に宣伝する文句になっているんですね。昔風な英語ですからチョット読み辛《づ》ろうがしたよ。チョット生意気に訳しかけてみた事もあるんですが、ザットこんな風です。
「われ聖徒となりて父の業を継ぎ、神学を学ぶ中《うち》に、聖書の内容に疑《うたがい》を抱き、医薬化学の研究に転向してより、宇宙万有は物質の集団浮動に過ぎず。人間の精神なるものも亦、諸原素の化学作用に外ならざるを知り、従って宗教、もしくは信仰なるものが、その出発点よりして甚だしく卑怯なる智者の、愚者に対する瞞着、詐欺取財手段なるを認め、地上に於て最真実なるものは唯一つ、血も涙も、良心も、信仰もなき科学の精神を精神とする所謂、悪魔精神なる事を信じて疑わざるに到れり。わが生まれいでし心は親兄弟、もしくは羅馬《ローマ》法皇が自分のために都合よく作り出せる所謂『神の心』には非《あら》ず。生前の神罰、死後の地獄また在ることなし。何をか恐れ、何をか憚《はばか》らんや。
 歴代の羅馬法皇、その他の覇者は皆この悪魔道の礼讃実行者なり。万人の翹望《ぎょうぼう》する上流階級の特権なるものは皆この悪魔道に関する特権に外ならず。人類の日常祈るところの核心《もの》は皆、この外道精神の満足に他ならず。強者は聖書を以て弱者を瞞着し、科学の教うるところの悪魔の力を恣《ほしいまま》にして恥じざらむとす。
 全世界の人類よ。皆、虚偽の聖書を棄てて、この真実の外道祈祷書を抱け。われは悪魔道のキリストなり。弱き者。貧しき者。悲しむ者は皆吾に従え」
 といったような熱烈な調子で、人類全般に、あらゆる悪事をすすめる文句がノベタラに書いて御座います。私《あっし》はそれを読んで行くうちに、自分の首を絞《しめ》られるような気持になってしまいましたよ。西洋《あちら》には血も涙もない悪党が多い。生肝《いきぎも》取りだの死人《しびと》使い、奴隷売買、人殺し請負いナンテものは西洋人でなくちゃ出来ない仕事だと聞いておりましたがマッタクその通りだと思いましたナ。
 その耶蘇教《やそきょう》の僧侶《ぼう》さんは多分、精神異状者か何かだったのでしょう。そんなつもりで、世界中を悪党だらけにするつもりで、一生懸命に書いたらしく、この世界が「悪」ばっかりで固まっている世界だ……神様なんてものは唯、悪魔の手伝いに出て来た位のもんだっていう事を、出来るだけ念入りに説明しているんです。
「神は弱者のためにのみ存在し、弱者は強者のためにのみ汗水を流し、強者は又、悪魔のためにのみ生存せるもの也」
「世界の最初には物質あり。物質以外には何物もなし。物質は慾望と共に在り。慾望は又、悪魔と共に在り。慾望、物質は悪魔の生れ代り也。故に物質と慾望に最忠実なるものは強者となり悪魔となりて栄え、物質と慾望とを最も軽蔑する者は弱者となり、神となりて亡ぶ。故に神と良心を無視し、黄金と肉慾を崇拝する者は地上の強者也。支配者也」
「強者、支配者は地上の錬金術師也。彼等の手を触るる者は悉《ことごと》く黄金となり、黄金となす能《あた》わざるものは悉く灰となる」
「黄金を作る者は地上の悪魔也。彼等の触るる異性は悉く肉慾の奴隷と化し、肉慾の奴隷と化し能わざる異性は悉く血泥と化《な》る」
 というようなアンバイです。
 ですからこの悪魔の聖書では、旧約の処が「人類悪」の発達史みたいになっておりましてね。アダムとイブが、神様を信心し過ぎて肉慾を軽蔑している間は、子供が生まれなかった。それから蛇によって象徴《あらわ》された執念深い肉慾に二人が囚《とら》われて、信仰をなくしちゃって、エデンの花園を逐《お》われてから、お互いの裸体《はだか》が恥かしくなったお蔭で、子供がドンドン生まれ初めてこの地上に繁殖し初めたんだから、トドのつまりこの地上で栄えるものはエホバの神の御心じゃない。悪魔の心でなくちゃならん……といったような理窟で、人類の罪悪史みたような事が、それからジャンジャン書立ててあるのです。
 ……エジプトの王様は代々、自分の妻を一晩|毎《ごと》に取換えて、飽きた女を火焙《ひあぶ》りにして太陽神に捧げたり、又は生きたままナイル河の水神様の鰐に喰わせたりするのを無上の栄華として楽しんでいた。
 ……ペルシャ王ダリオスの戦争の目的は領土でもなければ名誉でもない。捕虜にして来た敵国の女に対する淫虐と、敵国の男性に対する虐殺の楽しみ以外の何ものでもなかった。彼は戦争に勝つ毎《ごと》に、宮殿の壁や廊下を数万の敵兵の新しい虐殺屍体で飾りその中で敵国の妃や王女を初め、数千の女性の悲鳴を聞いて楽しんだ。そこにダリオスは世界最高の悪魔的文明を感じたのであった。
 ……亜歴山《アレキサンドル》大王はアラビヤ人を亡ぼすために、黒死病患者の屍体を荷《かつ》いだ人夫を連れて行って、メッカの町の辻々でその人夫を一人ずつ斬倒《きりた》おさせた。これはその極端な悪魔的な精神に於て、近代の戦争のやり口をリードしているのみならず、遥かにソンナものを超越した偉いところがあった。流石《さすが》は大王というよりほかなかったものである。
 ……露西亜の彼得《ペートル》大帝は、和蘭《オランダ》に行って造船術を習ったと歴史に書いてあるが、これは真赤な偽りで、実際は堕胎術と、毒薬の製法を研究に行ったのだ。彼得《ペートル》大帝は、そうして得た魔力でもって露西亜の宮廷を支配して、あれだけの勢力を得たもので、大帝の属するスラブ人種が、六十幾つの人種を統一して、大露西亜帝国を作ったのも、こうした大帝から魔力を授かったスラブ族の科学智識のお蔭でしかないのだ。
 ……こんな調子で世界を支配するものは神様でなくてイツモ悪魔であった。一切の科学の初まりは神様の存在を否定し、人間をその良心から解放するのが目的で、同時に一切の化学の初まりは錬金術であり、一切の医術の初まりは堕胎術と毒薬の研究でしかなかったのである。
 ……吾々は歴史に欺《あざ》むかれてはならない。常に悪魔的な正しい目で歴史を読んで行かないと飛んでもない間違いに陥ることがある。元来ユダヤ人というものは人類の全部をナマケモノにしてコッソリと亡ぼしてしまって、ユダヤ人だけで世界を占領してしまおうと思って、昔から心掛けて来た人種だ。骰子《さいころ》だのルーレットだのトランプだの将棋だのドミノだのいうものは、そんな目的のために猶太《ユダヤ》人が考え出して世界中に教え拡めたものである。しかもその猶太人が、そんな目的のために発明して世界中に宣伝しようとこころみた最後のものがこの基督《キリスト》教なのだから、呆れてモノが云えないではないか。
 ……「この世の中の事は何もかも神様の思召《おぼしめし》ばかりだ。神様に祈ってさえいれば、欲しいものは何でも下さるのだから、人間はチットモ働かなくてい
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