られるもの。派手なメリンスの襦袢に赤い猿又一つ。西洋手拭の頬冠りというチンドン屋式。中には上半身裸体で屑屋みたいな継ぎハギの襤褸《ぼろ》股引を突込んだ向う鉢巻で「サア来い」と躍り出るので、審判に雇われた大学生が腹を抱えて高い腰掛から降りて来るようなこと。むろんラケットの持ち方なんぞ知っていよう筈がない。サーブからして見送りのストライクばかりで、タマタマ当ったと思うと鉄網越しのホームラン……それでも本人は勝ったのか敗けたのか解らないまま、いつまでもコートの上でキョロキョロしている。悠々とゴム※[#「毛にょう+(鞠−革)」、第4水準2−78−13]《まり》を拾ったり何かしているので、相手がコートに匍《は》い付いて笑っているが、それでもまだわからない。
「ナアーンダイ。敗けたのか」
 と頬を膨らましてスゴスゴ引き退るトタンに大爆笑と大拍手が敵味方から一時に湧き返るという、空前絶後の不可思議な盛況裡に、無事に予定の退却となった。
 それから予定の通りにコート外の草原の天幕《テント》張りの中でビールと抓み肴が出た。小使が二人で五十ガロン入の樽を抱えて来た時には選手一同、思わず嬉しそうな顔を見合わせた。同時に主将たる筆者は胸がドキドキとした。インチキが暴露《ばれ》たまま成功したのだから……。
「ええ。樽にすると小さく見えますがね。この樽一つ在れば五十人から百人ぐらいの宴会ならイツモ余りますので……どうぞ御遠慮なくお上り下さい」
 と言う重役連の挨拶であったが、サテ、コップが配られると、さあ飲むわ飲むわ。筆者を除いた九名の選手と仮装マネージャーが、文字通りに長鯨の百川を吸うが如くである。
「ちょっと、コップでは面倒臭いですから、そのジョッキで……」
 と言うなり七合入のジョッキで立て続けに息も吐《つ》かせない。
「お見事ですなあ。もう一つ……」
 と重役の一人が味方の仮装マネージャーを浴びせ倒しに掛かっていたが、ナカナカ腰が砕けない模様である。そのうちに樽の中が泡ばかりになりかけて来ると、重役連中が一人逃げ二人逃げ、しまいには相手の選手までいなくなって、カンカン日の照る草原に天幕と空樽と、コップの林と、入れ代り立ち代り小便をする味方の選手ばかりになってしまった。中にも仮装マネージャーを先頭にラケットを両手に持った三人が、靴穿きのままコートに上って、
「勝った方がええ。勝った方がええ」
 とダンスを踊っている。何が勝ったんだかわからない。苦々しい奴だと思っている筆者を皆して引っぱって、重役室に挨拶に行った。仕方なしに筆者が頭を下げて、
「どうも今日は御馳走様になりまして」
 と言って切り上げようとすると、背後から酔眼朦朧たる仮装マネージャーが前に出て来て、わざとらしい舌なめずりをして見せた。銅羅声を張り上げた。
「ええ。午後の仕事がありませんと、もっとユックリ頂戴したかったのですが、残念です」
 と止刺刀《とどめ》を刺した。
 しかし往来に出るとさすがに一同、帽子を投げ上げラケットを振り廻して感激した。
「××麦酒会社万歳……九州日報万歳……」
「ボールは子供の土産に貰って行きまアス」
 翌日の新聞に記事が出たかどうか記憶しない。



底本:「夢野久作全集7」三一書房
   1970(昭和45)年1月31日第1版第1刷発行
   1992(平成4)年2月29日第1版第12刷発行
初出:「モダン日本 6巻8号」
   1935(昭和10)年8月
入力:川山隆
校正:土屋隆
2007年7月23日作成
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