困った筈である。実はこっちでもヒドイ選手難に陥っていた。モトモトテニスらしいものが出来るのは、正直のところ一滴も酒の飲めない筆者の一組だけで、ほかは皆、支那の兵隊と一般、テニスなんてロクに見た事もない連中が吾も吾もと咽喉《のど》を鳴らして参加するのだから、鬼神壮烈に泣くと言おうか何と言おうか。主将たる筆者が弱り上げ奉ったこと一通りでない。
「オイ。主将。貴様は一滴も飲めないのだから選手たる資格はない。俺が大将になって遣るから貴様は退《の》け。負けたら俺が柔道四段の腕前で相手をタタキ付けて遣るから。なあ」
 と言うようなギャング張りが出て来たりして、主将のアタマがすっかり混乱してしまった。仕方なしにそいつを選手外のマネージャー格に仮装して同行を許すような始末……それから原稿紙にテニス・コートの図を描いて一同に勝敗の理屈を説明し始めたが、真剣に聞く奴は一人もいない。
「やってみたら、わかるだろう」
 とか何とか言ってドンドン帰ってしまったのには呆れた。意気既に敵を呑んでいるらしかった。
 翌る朝の日曜は青々と晴れたステキな庭球日和であった。方々から借り集めたボロラケットの五、六本を束にした奴を筆者が自身に担いで門を出た時には、お負けなしのところ四条|畷《なわて》に向った楠|正行《まさつら》の気持がわかった。それから麦酒会社のコートに来てみると、新しくニガリを打って眩い白線がクッキリと引き廻して在る。その周囲を重役以下男女社員が犇々《ひしひし》と取り囲んで、敵選手の練習を見ている処へ乗り込んだ時には、何かなしに全身を冷汗が流れた。早速の機転で、時間がないからと言って、こっちの選手の練習を謝絶した。
 作戦として筆者の主将組が劈頭《へきとう》に出た。せめて一組でも倒して置きたい。アワよくば優退を残せるかも知れないと言う、自惚まじりの情ない了簡であったが、見事にアテが外れて、向うも主将の結城、本田というナンバー・ワン組が出て来たのには縮み上った。それだけで手も足も出ないまま三―〇のストレートで敗退した。後のミットモナサ……。あんなにもビールが飲みたかったのかと思うと眼頭が熱くなるくらいである。
 先方は揃いの新しいユニフォームをチャンと着ているのに、こちらはワイシャツにセイラ・パンツ、古足袋、汗じみた冬中折れという街頭のアイスクリーム屋式が一番上等で、靴のままコートに上って叱
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