ガイ患者が出ますと。ほかの病気と品事《しなこと》かわって。あとに残った正気の家族が。あるにあられぬ責め苦を受けます。トテモこうして自宅《うち》へは置けない。どうかせねばと思案をしても。どうも仕様が見当りませぬ。とかくするうち無理算段した。金は無くなる、仕事は出来ない。やがて一家が干乾《ひぼ》しは眼の前。さても切なや、悲しや、辛《つ》らや……チャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。さても切なや、悲しや、辛らや、それも吾身は露いとわねど、お年寄られた親様はじめ。可愛い吾児《わがこ》の行末までも。生きて甲斐ない一人のために。棄てて介抱するのが道理か。人に迷惑かけないうちに。患者もろとも首でも縊《くく》って。一家揃うて死ぬのが道かや。何の因果で斯様《かよう》な憂《う》き目と泣いて怨めど肝腎カナメの。当の患者はアラレヌ眼付きで。キョロリキョロリとしているばっかり……チャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。キョロリキョロリとしているばかりじゃ。もとの姿は残っていても。元の心は藻抜《もぬ》けの殻だよ。人の形をしているだけに。犬や猫より始末が悪いよ。情ないとも何とも彼《か》とも。なろう事なら代ろうものをと。歎き悶《もだ》えた揚句《あげく》の果てが。切羽《せっぱ》、詰まった大罪犯す……スカラカ、チャカポコ。チャカポコチャカポコ……。
▼あ――ア。切羽詰まった大罪犯す。どこか遠国《とおく》へ移転《ひっこ》すふりや。知らぬ処の病院さして。入れに行く振り人には見せて。又と帰らぬ野山の涯へ。泣きの涙で患者を棄てます。なれどコイツは捨児《すてご》と違うて。拾い育てる仏は居ませぬ。居らぬどころか行く先々では。打たれたたかれ追いこくられます。飢えて凍《こご》えてたおれた処の。木の根、草の根、肥やすか知れない。それを承知で見棄てる鬼をば。キョロリキョロリと探して見まわす。憐れな患者の名残りの姿を。はるか離れた物蔭、木蔭で。両手合わせる千万無量……チャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。両手合わせる千万無量じゃ。古い伝えは延喜《えんぎ》の昔に。あのや蝉丸《せみまる》、逆髪《さかがみ》様が。何の因果か二人も揃うて。盲人《めくら》と狂女のあられぬ姿じゃ。父の御門《みかど》に棄てられ給い。花の都をあとはるばると。知らぬ憂目に逢坂《おうさか》山の。お物語りは勿体《もったい》ないが。斯様《かよう》な浮世のせつない慣《なら》わし。切羽詰まった秘密の処分《さばき》は。古今東西いずくを問わない。金の有る無し身分の上下。是非と道理を問わないものだよ……チャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。是非と道理がいえないものだよ。そんな事情で野山の涯に。迷う憐れな患者の中でも。すこし正気の残った者なら。他所の掃溜《はきだめ》あさってみたり。物を貰うて又生き延びるよ。そのうち正気に帰るにしても。そこでこの世の悲しさ辛らさが。遣瀬《やるせ》ないほど身に沁《し》み渡る。又は吾身の姿に恥じて。残る家族のためぞと思い。人を諦らめ世を諦らめて。流す涙が乞食の姿じゃ。三日続けば止められないと。聞いた気楽な世界に落ち込む。それがそこらの名物乞食じゃ。又は野臥《のぶせ》り山窩《さんか》にまじって。寺の門前。鎮守の森蔭。橋の袂《たもと》の蒲鉾小舎《かまぼこごや》で。虱《しらみ》取り取り暮しているのを。一人二人と集めてみたなら。迚《とて》も大した人数《にんず》になります。しかも左様なミジメな姿は。みんなこうした地獄のあわれを。知らぬ顔する国家や社会が。いっそ死ねよといわないばかりの。冷めたい仕打ちに消え行く数の。千か万かの一人か二人じゃ……チャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。千か万かの一人か二人じゃ。なんと皆さん如何《いかが》で御座る。これが普通の病気であったら。達者な者より大切《だいじ》にされて。医者よ薬よ看護婦さんだよ。柔《やわ》い寝床じゃ、良い喰べ物じゃと。あるが上にもお見舞受けます。人間ばかりか犬畜生でも。小鳥、金魚も場合によっては。後生大切《ごしょうだいじ》に介抱されます。それに引換え精神病者は。病気の正体わからぬお蔭で。赤い煉瓦か野山の涯か。いずれ免《のが》れぬ地獄の責め苦じゃ……チャカポコチャカポコ……
▼あ――ア。いずれのがれぬ地獄の責め苦じゃ。なれど皆さんお聞きなされませ。私が今まで木魚をチャカポコ。たたき出したる地獄のお話。病院地獄と野山の地獄は。正直正銘、金箔《きんぱく》付きの。精神病者が落ち行く地獄じゃ。尋常普通のキチガイ地獄じゃ。さてもこれから今|一《ひ》と馬力《ばりき》と。親に不孝な馬鹿声張り上げ。弁じ上げます地獄の話は。それにも一つ※[#「走」の「土」に代えて「彡」、第3水準1−92−51]《しんにゅう》噛《か》ませた。スゴイ、ドエライ地獄の話じゃ。罪も報《むく》いも何にも
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