私は三名の医員と共に七号病室に駆け付けまして、一郎を取り押えようとしましたが、血に狂った一郎は手にせる鍬《くわ》を竹片《たけぎれ》の如くブンブンと振りまわして「見に来てはいけない見に来てはいけない」と叫びますので、非常に危険で近寄れません。そこへあとから駆け付けられた正木先生の顔を見ると、呉一郎は忽《たちま》ち鎮静しまして、嬉し気に一礼しつつ血に塗《まみ》れて床の上に横たわっている少女シノの半裸体の屍体を指して「お父さん、この間あの石切場で、僕に貸して下すった絵巻物を、も一ペン貸して下さいませんか。こんないいモデルが見つかりましたから……」という奇怪な一語を発しました。これを聞かされた正木先生は何故か非常に昂奮された模様で、今思い出しても物凄いほど真青な顔になって私たちを見まわされましたが、そのまま「何をタワケた事を云うかッ」と大喝されますと、単身呉一郎に組み付いて取押えられたのであります。それから暫くはお顔の色が悪いようでしたが、呉一郎が壁に頭を打付けて絶息しました後《のち》は気力を回復されたらしく、あれ程の大事件のさなかにも拘わらず、快濶《かいかつ》にキビキビと種々《いろいろ》の指図をしておられました。(記者が一郎の蘇生せる旨を告ぐれば)ヘエ。それは本当ですか。私が見ました時は顔中血だらけになっておりましたし、正木先生も急激な脳震盪《のうしんとう》で呼吸も止まっているから迚《とて》も助からぬと云うておられましたが、やはり、手足が不自由なまま、壁に頭を打ち付けたのですから、そう強くなかったのでしょう。(次いで正木博士の自殺を告げ死因に就ての心当りを問えば甘粕氏は愕然蒼白となり流涕《りゅうてい》して唇を震わしつつ)それは本当ですか。本当ならば私はこうしておられません。正木先生には大恩があります。私が先年|亜米利加《アメリカ》で流浪しておりますうちに市俄古《シカゴ》附近で肺炎にかかり誰も構ってくれ手がなくなりましたところを正木先生に拾われまして入院さして頂きました。その時に正木先生はもしこの恩が報じたければ福岡へ住んで俺が帰るのを待っておれと云われまして沢山の旅費まで頂きましたので、帰国|匆々《そうそう》当地の英和学院の柔道師範を奉職していたのですが、正木先生が大学に来られるとすぐに辞職して治療場の監視をお引き受けした位です。正木先生は何でも楽観される方で私も私淑して
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