の姿をこの眼で見、実在の音をこの耳で聴いている事を確信しない訳に行かなかった。……その確信を爪の垢ほども疑う気になれなかった。私は、今一人の自分自身としか思えないほど私によく肖通《にかよ》っている窓の外の青年、呉一郎の立っている姿を、何等の恐怖も感じないままに、今一度冷然と睨み付ける事が出来た。それから徐《おもむ》ろに正木博士をふり返ると、博士は忽《たちま》ち眼を細くして、義歯《いれば》を奥の方までアングリと露《あら》わした。
「ハッハッハッハッ。これだけの暗示を与えても解らないかい。君自身を呉一郎とは思えないかい」
私は無言のまま、キッパリと首肯《うなず》いた。
「ハッハッハッ。イヤ豪《えら》い豪い。実は今云ったのは……みんな嘘だよ……」
「エッ……嘘……」
と云いさして私は思わず頭を押えていた手を離した。その手を二本ともダラリとブラ下げたまま……口をポカンと開いたまま正木博士と向き合って、大きな眼を剥《む》き出していたように思う、恐らく「呆《あっ》」という文字をそのままの恰好で……。
その私の眼の前で正木博士は、さも堪《たま》らなさそうに腹を抱えた。小さな身体《からだ》から、あらん限りの大きな声をゆすり出して笑い痴《こ》け初めた。葉巻の煙に噎《む》せて、ネクタイを引き弛《ゆる》めて、チョッキの釦《ぼたん》を外して、鼻眼鏡をかけ直して、その一声|毎《ごと》に、室中《へやじゅう》の空気が消えたり現われたりするかと思う程徹底的に仰ぎつ伏しつ笑い続けた。
「ワッハッハッハッ。トテモ痛快だ。君は徹底的に正直だから面白いよ。アッハッハッハッハッハッ。ああ可笑《おか》し……ああたまらない……憤《おこ》ってはいけないよ君……今まで云ったのは嘘にも何にも、真赤な真赤な金箔《きんぱく》付のヨタなんだよ……アハ……アハ……併し決して悪気で云ったんじゃないんだよ。本当はあの青年……呉一郎と君とが、瓜二つに肖通《にかよ》っているのを利用してチョット君の頭を試験して見たんだよ」
「……ボ……僕の頭を試験……」
「そうだよ。実を云うと吾輩はこれから、あの呉一郎の心理遺伝のドン詰まりの正体を君に話して聞かせようと思っているんだが、それにはもっともっと解らない事がブッ続けに出て来るんだからね。よほど頭をシッカリしていないと飛んでもない感違いに陥る虞《おそれ》があるんだ。現に今でも君の方から
前へ
次へ
全470ページ中339ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング