判りませんでしたが「天子様のため」とか「人民のため」とかいう言葉が何遍も何遍も出て来たようで御座いました。お八代さんも眼をまん丸くしてうなずきながら聞いているようで御座いましたが、そのうちに若旦那はフイと口を噤《つぐ》んで、お八代さんが突きつけている巻物をジイッと見ていられたと思うとイキナリそれを引ったくって、懐中《ふところ》へ深く押込んでしまわれました。するとそれを又お八代さんは無理矢理に引ったくり返したので御座いましたが、あとから考えますと、これが又よくなかったようで……若旦那様は巻物を奪《と》られると気抜けしたようになって、パックリと口を開いたまま、お八代さんの顔をギョロギョロと見ておられましたが、その顔付きの気味のわるかった事……流石《さすが》のお八代さんも怖ろしさに、身を退いて、ソロソロと立ち上って出て行こうとしました。するとその袖《たもと》を素早く掴んだ若旦那様は、お八代さんを又、ドッカリと畳の上に引据えまして、やはりギョロギョロと顔を見ておられたと思うと、さも嬉しそうに眼を細くしてニタニタと笑われました。
 ――その顔を見ますと、私は思わず水を浴びせられたようにゾッとしました。お八代さんも慄え上ったらしく、無理に振り切って行こうとしますと、若旦那はスックリと立ち上って、縁側を降りかけていたお八代さんの襟髪《えりがみ》を、うしろから引っ捉えましたが、そのまま仰向けに曳《ひ》き倒して、お縁側から庭の上にズルズルと曳《ひ》きずり卸《おろ》すと、やはりニコニコと笑いながら、有り合う下駄を取り上げて、お八代さんの頭をサモ気持|快《よ》さそうに打って打って打ち据えられました。お八代さんは見る見る土のように血の気《け》がなくなって、頭髪がザンバラになって、顔中にダラダラと血を流して土の上に這いまわりながら死に声をあげましたが……それを見ますと私は生きた心が無くなって、ガクガクする膝頭を踏み締め踏み締め腰を抱えて此家《ここ》へ帰りまして「お医者お医者」と妻《かない》に云いながら夜具を冠《かぶ》って慄えておりました。そうしたらそのお医者の宗近《むねちか》どんが、戸惑《とまど》いをして私の家へ参りましたので「呉さんの処《とこ》だ呉さんの処《とこ》だ」と追い遣りました。
 ――私が見ました事はこれだけで御座います……ヘイ……皆正真正銘で、掛け値なしのところで御座います。あと
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