体を階上の手摺《てすり》より吊り下し、相対《あいたい》する階段附近よりこれを正視して歓興したるものと察するを得《う》べく、此《かく》の如く観察し来る時は、被害者が二重三重に絞首されし後《のち》、縊死に擬せられたる等の、本事件の最重要なる各種の特徴は極めて自然に、且つ明白に説明され得るを見るべし。本事件の検案調査が、かかる諸点に留意されず、尋常一般の犯罪と同一視されたる結果、この方面に関する指紋、足跡等の事跡が大略看過されたる傾向あり。ために、かかる珍奇なる夢中遊行特有の怪奇なる行動の詳細に亘りて推測する能《あた》わざるものあるは復《また》やむを得ざる遺憾事と言うべし。
 因《ちな》みに、呉一郎の夢中遊行の発作をここまで支持し来りし性慾衝動の最高潮状態は、この自己の屍体幻視を終極的として、解除されたるものと推測し得べき理由あり。爾後《じご》の呉一郎の行動は、この夢中遊行症の余波ともいうべき夢中遊行にして、筆者の所謂《いわゆる》、蹌踉状態[#「蹌踉状態」に傍点]に陥りたるものと認むるを得べし。然れども、その蹌踉《そうろう》状態の下に行われたる夢遊行動中にも亦《また》、本事件の表面上に現われたる、重要なる疑問的特徴を作りしものあるを推測され得るを以て、特に項を改めて記述すべし。

  【七】 呉一郎の悪夢、口臭、その他が表わす夢中遊行症の特徴

 呉一郎が悪夢を見たりという事実と、覚醒後の頭痛、眩暈《げんうん》、悪寒、口臭、嘔気《おうき》等を感じたる事実等を綜合して、麻酔剤の使用を疑われたる事は一面の理由あるものの如し。然れども、これを精神科学的の見地より観察する時は、これ亦《また》、現代の科学知識の発達程度に照して、誠に止むを得ざるに出でたる錯誤と評するを得べし。すなわち、畢竟《ひっきょう》するところ右は、夢、及《および》、夢中遊行なるものの真相の学理的に闡明《せんめい》され、且つ、常識的に理解されおる程度が、甚だ浅薄低級なる結果にして、下記二段の説明を以てこれを判断する時は、右の諸現象が麻酔剤の使用に依って起りしものに非《あら》ず、却って夢遊病の併発症状ともいうべき諸特徴を最も顕著に示しおる事を認め得べし。
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 (イ)口臭[#「口臭」に傍点]、その他と轆轤首の怪談[#「その他と轆轤首の怪談」に傍点] 呉一郎が覚醒後に感じたりという頭痛、嘔気、疲労
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