き足らず、更に窮極の極、その心理の本源に逆転し来りて、自己を恋着、愛惜する心理に陥り来るべきは必然の帰結なり。
 すなわちまず、これを積極方面より例示せむか。飽く事なき異性の愛撫慾が極度に高潮辛辣化すれば平凡なる性交の満足に倦《う》みて、異性の虐待[#「異性の虐待」に傍点]、乃至《ないし》、虐殺の快適味愛好[#「虐殺の快適味愛好」に傍点](サジスムス)又は屍好[#「屍好」に傍点](ネクロヒリ)となり、更に進んで異性の肉体覗見[#「異性の肉体覗見」に傍点]、異性の形状愛好[#「異性の形状愛好」に傍点](ビクマリオニスムス)、異性の附属物歎美[#「異性の附属物歎美」に傍点](フェチシスムス)等の順序を以て漸次、異性より直接に受くる刺戟、もしくは感覚より背《そむ》き遠ざかりつつ、却って深刻味ある快美感を受け得るに到るべく、而《しか》も尚、それ以上の異端、もしくは猟奇的深刻味を求めて止まざる結果は、遂《つい》に人間本来の自己愛惜の本能に吸引せられて自己恋着[#「自己恋着」に傍点]に陥り来るに到るべし。
 又、これを消極方面より観察する時は、被愛撫的満足の飽く事なき願望が超自然的に高潮すれば被虐待の要望(マゾヒスムス)となり、一転して異性の汚物愛好(コプロラグニー)に進み、異性よりの侮蔑冷視[#「異性よりの侮蔑冷視」に傍点]、嘲笑嫌忌の甘受慾[#「嘲笑嫌忌の甘受慾」に傍点](エキシビステンその他)等の経過を見て結局、前者と同様の結末に陥り来るべきは自然の帰趨《きすう》なり。所謂《いわゆる》|NARZISSMUS《ナルジスムス》(自己恋着)はこれにして、筆者の所謂積極消極両様の変態恋愛の交叉帰一点そのものの発露と見るを得べし。
 しかもこの「自己恋着」と名づくるものの中にも亦、積極消極、両極端の合一せる変態あり。すなわち自己に対する極度の愛撫、粉飾等は進んで自己の虐待、自己の一部露出、もしくは覗見《しけん》等の変態趣味に移り、一転して自己の軽視、冷遇、嘲笑、嫌忌もしくは自己恐怖等の心理を感ずるに到り、更に進んで自己虐殺の快適[#「自己虐殺の快適」に傍点]、もしくは自己の屍体幻視の快美感耽溺者[#「自己の屍体幻視の快美感耽溺者」に傍点]となり来るものなり。事実、この種の心理の実例は極めて広汎|多端《たたん》、且つ普遍的の性質を有しおるものにして、往昔の切腹、義死、憤死等の心理又は
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