識界に潜在せる、或る恐るべき心理遺伝を刺戟して、夢中遊行状態を誘発し(後出第二回の発作の項参照)、遂《つい》に斯《か》かる兇行を演ぜしめたるものなる事を、以下|縷述《るじゅつ》するところの各項の理由に照して、逐次了解するを得《う》べし。
【三】 呉一郎の第一回覚醒と夢中遊行との関係
呉一郎が、同夜に限りて夜半の覚醒を見たるは、同人が従来あまり経験したる事なき異状なる出来事なる旨陳述せるが、右は又、適々《たまたま》以て、その後の睡眠間に於ける夢遊状態の存在を指示しおれる一徴候と認め得べき理由あり。然れども、この理由を明かにする以前に於て、必然的に考慮せられざるべからざる一事は、勝手口の支棒《つっかいぼう》の落ちたる音が、呉一郎の第一回の覚醒の原因となりおれる如く思惟されおることなり。右は呉一郎本人も、然《し》かく信じおれるが如くなるも、這《こ》は睡眠中の感覚作用と、覚醒時の知覚作用とを同一視せるより出でたる誤解にして、甚だ軽率なる判断なりと認むるに躊躇《ちゅうちょ》せず。何となれば睡眠中に或る音響を耳にして、直ちに覚醒したりと信じたるものが、覚醒後の正確なる判断力に依ってこれを検する時は、その間《かん》に数分、甚だしきに到っては一二時間の睡眠を経過せる事を発見する例、些《すく》なからず。その最極端なる一例は、所謂《いわゆる》、朝寝坊が起さるる時にして、数回に亘る呼び声に応答しつつ、又も熟睡に陥り、日|三竿《さんかん》に及びて蹶起《けっき》して、今日は唯一回の呼声にて覚醒したりなぞ主張する事珍らしからざるは、世人の周知せる事例なり。睡眠中に感じたる音響と、これに依って刺戟されたる覚醒との間に於ける、経過時間に対する錯誤の如何に甚だしきかは、この一事を以てしても充分に立証し得べし。況《いわ》んや、夢中に於て、明かに物音を知覚して覚醒したるにも拘らず、その後の冷静なる検査に依りて何事もなかりしを知る場合極めて多きに於てをや。これに依ってこれを観《み》れば、支棒《つっかいぼう》の落ちたる音と、呉一郎の覚醒との間に必然的の因果関係を認むるは、正確なる推理の進行上|頗《すこぶ》る危険なる所業にして、寧《むし》ろ、右二ツの現象を全然無関係のものとして、この事件を観察する方、自然に近きものと言うを得べし。況《いわ》んや更に、これを呉一郎の覚醒後の異常なる気持ちと直接に結び付
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