いましたから、別に可怪気《おかしげ》ない事を仕出かして出て行ったものとも思われませぬ。
 ――それから後《のち》の妹のたよりは、明治四十年の暮に、東京の近くの駒沢村という処で、一郎という男の子が生れましたといって、村役場から知らせて参りましただけで御座います。その時もすぐに警察にお頼みして捜して頂きましたが、届出てあった所番地の家は、ずっと前から貸家になっておりましたものだそうで、なお、念のために私が出しておりました手紙も戻って参りましたので力を落しました。一郎が小学校へ入学致しました時の戸籍の書類《かきつけ》なぞはどうして取りましたものかわからないままに全くの音沙汰なしになっておりました。そうして私が二十三になりました年の正月に夫と別れますと間もなく、今居りますモヨ子と申します娘を一人生みましたから、それから後は娘と二人切りで暮しておりました。
 ――今度の事を新聞で見ました時は夢心地で馳付けて参りました。いろいろお調べを受けましたが、只今の通りお答を申上げておきました。
 ――初めて一郎を見ました時は思わず涙が出ました。その時に夢の事を尋ねましたのは、私の処に居ります若い者が読んでおりました活動の話に、夢遊病の事が書いて御座いましたからです。何か西洋《あちら》の事で、私どもにはよく解りませぬけれども、夢遊病に罹《かか》ってした事なら罪にならぬから、これから夢遊病の真似をして悪い事をしようか……なぞ若い者が申して笑っておりましたから、その事を思出しまして、もしやと思って尋ねて見たので御座いますが、女の癖に差出がましいとは存じましたけれども助けたいが一心で御座いましたから(赤面)。おかげ様で一郎が元の潔白な身体《からだ》になります許《ばか》りでなく、妹にも久しく不品行《ふしだら》な事が御座いません事が、亡骸《なきがら》をお調べ下さいましてから、お判りになりましたとの事で、これがせめてもの心遣《こころや》りで御座います。……で御座いますから私はここで立派に法事を営みましてから、お世話になりました皆様へも、世間並の御挨拶をして立ちたいと思います。
 ――昨日《きのう》、東京の近江屋《おうみや》の御主人からお香奠《こうでん》に添えてこのようなお手紙(略)が参りました。「宮内省のお役人から、お装束の修繕《つくろい》がさせたいからと頼まれて、妹の行衛《ゆくえ》を探しているとこ
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