み》に心配しているようでしたので「そんなら東北かどこか遠方のつまらない私立の専門学校か何かを受ける事にして、そこへ僕と一緒に、引越したらどうです。そうすれば福岡の新聞には出ないかも知れませんよ」と云いましたら、暫く考えてから「お前はどうしても大学へ入れなければならないし、これだけの塾生を見捨てるのも惜しいから」と云って、とうとう福岡を受ける事に決めました。けども、それでも「福岡には不良少年や不良少女がタントいるから、無暗に寄宿舎から出てはいけない」とか「途中で知らない人から話かけられても無暗に口を利いてはいけない」なぞと云って聞かせておりましたが、今から考えますと、やはりあの狸穴《まみあな》の先生が云った事は適中《あた》っていたので、母は何か人に、つけ狙われるような憶えがありましたために、自分達の居所をできるだけ隠そうとして、いろいろと気を揉《も》んでいたのだろうと思います。
――学校に居る間は寄宿舎に這入っていましたが、土曜の晩から日曜へかけてはキット直方へ帰って来ました。休暇の間もずっと家《うち》に居て毎朝すこし早く起きて母の手伝《てつだい》をしたり何かしましたが、その代り夜は九時か十時頃に寝るのでした。母はずいぶん気の強い女で、人気《にんき》の悪い直方に住んでいながら、僕の居ない時はたった一人でこの室《へや》に寝るのでしたが「朝は八時半頃からボツボツ生徒が来るし、夜は十一時頃まで休む間もないから、ちっとも淋しいとは思わない。勉強の忙《せわ》しい時なぞは無理に帰って来なくてもいいよ」なぞとよく云っておりました。
――ついこの頃になっても別にかわった事はありませんでした。ただ、去年の夏でしたか、母が刺繍材料の包み紙になって来た亜米利加《アメリカ》の新聞を持って来て「これは何という人か」と尋ねますので、そこの処の記事を読んで見ましたら、ロンチェニーという活動俳優が扮した道化役《ピエロ》だとわかりましたので、母はつまらなさそうに「フン。そうかい」と云って降りて行きました。その時に僕の父は、あんな顔をした人間で外国に居るのだなと思いましたから、その写真は細かい処までよく記憶《おぼ》えています。チョット見ると大きなお蚕様《かいこさま》みたような顔でしたから、私はソッと下へ降りて、六畳に置いてある母の鏡台の前に行って、自分の顔を覗いて見ましたが、ちっとも似ていませんでし
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