でもよくわかる品物であらわしてあるので、吾輩が調査記録した書類の中にも、そんな例が山を積む程ある。
 ところで、こんな暗示の怖るべき作用を、学理的に研究して、ドシドシ実際に応用する事が出来るとなったら、ドンナ事になるだろう。犬山|道節《どうせつ》、石川五右衛門、天竺《てんじく》徳兵衛、自来也《じらいや》以上の幻魔術が現代に行われ得る事になりはしまいか。
 それ程でなくとも、この種類の暗示を巧みに利用すると、出会い頭に他人を発狂させる事が出来る。無調法な現代の科学応用の兇器みたように、音を立てたり血を流したりしないから、白昼の往来で傍《そば》を通っている者でも怪しまない。当代の如何なる名探偵が駈け付けて来ても全然|目星《めぼし》の付けようのない犯罪が行える……否、現在そこいらでドシドシ行われているとしたらどうだね。
 フフフフ……そんなに固くなって座り直さなくともいい。イクラ吾輩が精神科学の大家でも、このスクリーンの中から暗示を与えて、満場の諸君を一斉に発狂させる術は、まだ発見していないからね。尤《もっと》も、そんな事が出来たら面白いだろう……とは思っているんだが……ハッハッハッ……。
 イヤ、これは冗談だが、こうした犯罪手段は既に、空想や、推測の範囲を通り越して、眼の前の問題となって来ている。事実は常に研究に先立って存在するものである……と云ったらチョット眉に唾液《つばき》を付けてみたくなるであろう。
 ところが驚く勿《なか》れだ。現に吾輩の畏友《いゆう》、九州帝国大学医学部長、若林鏡太郎《わかばやしきょうたろう》君の名著『精神科学応用の犯罪とその証跡』と題する草稿の中に、緒論として、コンナ愚痴《ぐち》が並べてある。ちょうどその緒論だけが、吾輩の処へ校閲を頼んで来ているから、ちょいと失敬して抜き読みをしてみると、コンナあんばいだ。……曰《いわ》く……

[#ここから1字下げ]
 ――余ノ調査研究セルトコロニ依《よ》レバ、既ニ往昔《おうせき》ヨリコノ種ノ犯罪ガ行ワレツツアリシ事実ヲ認ムルヲ得ベシ。例エバ役行者(えんのぎょうじゃ)、阿部晴明(あべのせいめい)、弘法大師等ノ密教、陰陽術ノ流《ながれ》ヲ伝ウル者、真言秘密ノ行者、修験者《よげんじゃ》、祈祷師、代人、巫女《みこ》、ソノ他、何々教、何々様ト称スル神仏類似ノモノニ奉仕スル輩ノ中ニハ、積年ノ経験ヨリ得タル一種ノ精神科
前へ 次へ
全470ページ中196ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング