精神科学の講義だ。諸君が日常フンダンに経験している恐ろしい精神生活の説明だ。
 しかし諸君。まだ驚いては早過ぎるよ。精神科学の原理原則は、もっともっと恐ろしい、驚目、駭心《がいしん》に価《あたい》する事実を提供しているんだよ。
 今まで説明して来たところによって既に、アラカタ理解されているであろう。人間の代が変るのは、吾々が眠って又、醒めるようなものである。一夜眠ったら昨日《きのう》の事なぞ、キレイに忘れていそうなものだが、サテ起き上ってみると、殆ど無意識に、大工は昨日建てかけた家の続きを建てに行き、左官も同様に昨日の壁の続きを塗りに行く。そうすると又、昨日の事を思い出して……ハテ昨日、ここで十銭玉をオッコトシタが……とか、きのうの丁度今時分に、向うを別嬪《べっぴん》が通ったっけが……とかいうので、昨日のその時分に、そこでそうした通りに、キョロキョロしたり、ポカンとなったりする。
 精神の遺伝もその通り……親は昨日の自分で、子は明日《あした》の自分じゃ。夜は昨日の自分から、今日の自分が生まれて来る、暗い、無自覚のみごもり[#「みごもり」に傍点]の姿になる時間じゃ。
 されば男女を問わず人間は、自分の先祖が嘗《かつ》て、そんな気分、精神状態になった場面、品物、時候、天候なぞいう、所謂《いわゆる》、暗示[#「暗示」に傍点]にブツカルと、今の大工や左官と同様に、ありし昔の心理状態に立ち帰る……しかも、そんな風にして先祖代々から遺伝して来た心理は、一つや二つじゃないぞよ。又、そうした心理の暗示[#「暗示」に傍点]となるべき場面、品物、天候なぞいうものも、そこいら中にベタ一面に充満していて、夜となく、昼となく吾々の心理遺伝を刺戟し続けていて、眼の見える限り、耳の聞える限り、一刻一|刹那《せつな》も休んでいないのだから恐ろしいぞよ。吾々の一生を支配している「艮《うしとら》の金神《こんじん》」というのは、実にこの「心理遺伝」の原則であるぞよ。今にドエライ証拠を出すぞよ……。
 アハハハハハ。大本《おおもと》教のお筆先と間違えてはいけない。吾々が日常に経験している極めて平凡な事実だ。吾々の気持が朝から晩までフンダンにクラリクラリと変化し、入れ換って行く……活動見に出かけるつもりが、途中でフイッと縁日の夜店に引っかかったり……旅支度で家を飛び出した奴が、図書館にモグリ込んだり……好《
前へ 次へ
全470ページ中194ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング