の同じ長さの人工の時間を各個人が別々に使ってみると、そこに非常な相違が現われて来るから不思議である。
手近い例を挙ぐれば、同じ時計で計った一時間でも、面白い小説を読んでいる一時間と、停車場でボンヤリ汽車を待っている一時間との間には驚くべき長さの相違がある。尺竹《しゃくだけ》で計った品物の一尺の長さが、万人一様に一尺に見えるような訳には行かないのである。又は水に潜って息を詰めている一分間と、雑談をしている一分間とを比較しても思い半ばに過ぐる事で、前者はたまらない程長く感ずるのに反して、後者は一瞬間ほどにも感じない……というのが偽らざる事実でなければならぬ。
更に今一歩進んでここに死人があるとする。その死人は、その死んだ後《のち》に於ても、その無感覚の感覚によって、時間の流れを感じているとすれば、一秒時間も、一億年も同じ長さに感じている筈である。又そう感ずるのが死後の真実の感覚でなければならぬので、すなわち一秒の中《うち》に一億年が含まれていると同時に、宇宙の寿命の長さと雖《いえど》も一秒の中《うち》に感ずる事が出来る訳である。この無限の宇宙を流れている無限の時間の正体は、そんなような極端な錯覚、すなわち無限の真実の裡《うち》に、矢の如く静止し、石の如く疾走しているものに外ならないのである。
真実の時間というものは、普通に考えられている人工の時間とは全く別物である。むしろ太陽、地球、その他の天体の運行、又は時計の針の廻転なぞとは全然無関係のままに、ありとあらゆる無量無辺の生命の、個々別々の感覚に対して、同時に個々別々に、無限の伸縮自在さを以て静止し、同時に流れているもの……という事が、ここに於て理解されるのである。
次に、地上に存在している生命の長さを比較してみると、何百年の間、茂り栄える植物や、百年以上生きる大動物から、何分、何秒の間に生れかわり死にかわる微生物まであるが、大体に於て、形の小さい者ほど寿命が短かいようである。細胞も亦同様で、人体各別の細胞の中で寿命の長いものと短かいものとの平均を取って、人間全体の生命の長さに比較してみると、国家の生命と個人の生命ほどの相違があるものと考え得る。しかし、それ等の長い、又は短かい色々の細胞の生命が、主観的に感ずる一生涯の長さは同じ事で、その生れて死ぬまでの間が、人工の時間で計って一分間であろうが百年であろうが、そん
前へ
次へ
全470ページ中165ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング