ればなる程ハッキリと眼を醒して、色々な活躍を初める事になるのだ。
たとえば或る人間が、或る感情とか、意志とかの一つだけを、極度に昂奮させたまま眠りに落ちたとする……『あのダイヤが欲しいナア』とか……『憎いアンチキショウを殺してやりたい』とか思って昂奮しいしい眼をつむっていると、やがて、その脳髄が熟睡のドン底に落ちた時に、その脳髄と一所に睡っている細胞の中でも、その意識だけがタッタ一つ睡り後《おく》れて眼を醒している。そうしてその意識は、良心とか、常識とか、理智とかいうものと連絡を失った、片チンバの姿のままで起き上って、全身の細胞が持っている反射交感作用を脳髄の代りに使いながら動き出す。そうして全身の細胞の中から、必要に応じて勝手気儘に呼び起した判断、感覚なぞいうものと連絡を取りつつ、見たり聞いたり、考えたりして、望み通りの仕事をする。欲しいダイヤを失敬したり、憎いアンチキショウを殺したりするのであるが、しかし、そんな仕事をしている途中の出来事は、脳髄を通過した印象でないからチットモ記憶していない。あとで眼を醒してもケロリとして、平生とチットモ変らないアンポンタン・ポカン人種に立ち帰っている。たとい盗んだダイヤモンドや殺した相手の死骸を突付けられても、知らない事は白状出来ないので、いよいよアンポンタン・ポカンとなるばかりだ。
その代り、そうした夢中遊行の最中は、全身の細胞が、脳髄の役目と、自分たちの専門専門の役目と両方を、同時に引受けて活躍している訳だから、眼が醒たあとで一種異様な疲労を自覚するのが通例になっている。この道理は薬を使って、脳髄だけを麻酔させた場合と全然同一であるのを見ても、容易に首肯出来るのであるが、しかし又、この麻酔後の疲労と、夢中遊行後の疲労とは、そんな風に全然同じ性質の疲労でナカナカ鑑別が出来にくいものだから、非常に面白い法医学上の研究問題となる事がある。
その好適例として持て来いの標本は、現在、ここに突立って、吾輩の講義を傾聴しているこの青年である。この青年は諸君の中に見知っている人が居るかも知れない。住所姓名は例によって公表を差控えるが、まだやっと二十歳《はたち》になった今年の春に、この大学の入学試験を受けて、最高級の成績でパスすると間もなく、可哀相に先祖から遺伝して来た夢中遊行病の発作にかかって、結婚式の前夜に、自分の花嫁を絞殺してし
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