事ハ、仮令自身ニ行イタル事ト雖《いえど》モ、事実ト認ムベカラズ。記憶ニモ止《とど》ムベカラズ。
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……『昨夜《ゆうべ》、君の蒲団《ふとん》を引ったくった覚えはない』なぞと頑張る連中は、この第二箇条を厳守している正直者に相違ない。
ところで右の二箇条は、現在の精神病学界で二重圏点付きの重大疑問となっている『ねぼけ[#「ねぼけ」に傍点]状態』を引き起す規約である。むろん普通のアタマの人間にも、よくある事だし、文句も簡潔だから記憶し易いが、第三条となると御覧の通り、文句が少々ヤヤコシイようである。しかし意味は前の二箇条と同様すこぶる簡明である。すなわち……
『脳髄の反射交感機能に異状が起った場合には、脳髄の無い下等動物と同様に、脳髄以外の全身の細胞の反射交感作用を脳髄の代りに活躍させよ』
という意味の規約で、いわば脳髄の非常時に対する応急手段とでもいおうか。……しかも彼《か》の『物を考える脳髄』が今日まで、幽霊、妖怪、幻覚錯覚、精神異状、泣き中気《ちゅうき》、笑い中気、夢中遊行、朦朧《もうろう》状態なぞいうあらゆる超科学的、もしくは超説明的な怪現象を演出して、全世界の科学者の脳髄をドン底まで飜弄して来たモノスゴイ手品の種シカケは、実にこの簡単明瞭な第三条の規約の逆用そのものに外ならなかったのである。曰《いわ》く、
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◇第三条[#「◇第三条」は太字] 脳髄局ノ反射交感機能ニ故障ヲ生ジタル場合、ソノ故障ヲ生ジタル一個所ニ於テ反射交感サレツツアリシ或ル意識ハ、他ノ意識トノ連絡ヲ絶チ、全身ノ細胞各個ガ元始以来保有セル反射交感作用ヲ直接ニ元始下等動物ト同様ノ状態ニ於テ(脳髄ノ反射交感作用ト無関係ニ)使用シ、他ノ意識ニ先ンジテ感覚シ、判断シ、考慮シ、又ハ全身ヲ支配シテ運動活躍セシムルヲ得ベシ。
【附則】[#「【附則】」は太字] (イ)脳髄局ガ反射交感スル暇《いとま》ナキ急迫ノ場合……例エバ無意識ニ眼ヲ閉ジ又ハ飛ビ退《の》ク場合等。(ロ)麻酔セル場合……例エバ麻酔剤ニテ脳髄ノ全体ガ反射交感機能ヲ停止シイル場合ニ、全身ノ細胞ノ感覚、意識記憶等ニヨリテ行ウ無意識ノ挙動言語等。(ハ)脳髄ガ異状ノ深度ニ熟睡セル場合……例エバ夢中遊行、寝言、歯ギシリ等。以上ノ三種類ノ場合モコレニ準ズ。
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