たいはい》させ、堕落させ、迷乱化《めいらんか》させ、悶絶化させつつ、何喰わぬ顔をして頭蓋骨の空洞の中にトグロを巻いているという、悪魔中の悪魔ソレ自身が脳髄ソレ自身になって来るという一事だ。
むろんこれは吾輩一流の法螺《ほら》やヨタじゃない。吾輩の専門の名誉にかけて断言するのだから……。
エッ……脳髄は物を考える処だ……と云うのかい。
そうだよ。みんなそう思っているんだよ。現代一流の科学者は勿論のこと、全世界のありとあらゆる種類、階級の人々は、プロとブルとを押しなべて皆、脳髄で物を考えているつもりで生きているんだ。ラジオも、飛行機も、相対性原理も、ジャズも、安全|剃刀《かみそり》も、赤い理論も、毒|瓦斯《ガス》も何もかも、この一二〇〇|瓦《グラム》以上、一九〇〇|瓦《グラム》以下の蛋白質のカタマリから生み出されたものと確信し切っているのだ。
成る程、人間の屍体を解剖して、脳髄なるものを覗いてみると、そうした考え方は万々間違いないように見える。大脳、小脳、延髄、松果腺《しょうかせん》なんどと、無量無辺に重なり合っている、奇妙キテレツな恰好をした細胞が、やはり、奇想天外式に変形した神経細胞の突起によって、全身三十兆の細胞の隅から隅までつながり合っている。その連絡系統を研究して行くと結局、人体各部を綜合する細胞の全体が、脳髄を中心にして周到、緻密《ちみつ》、且つ整然たる糸を引合った形になっているのだ。だから人間一切の行動を支配する精神もしくは、生命意識なるものは、脳髄の中に立て籠《こ》もっているのじゃないかしらんと考えられる。少くとも「脳髄は物を考える処」と考えて差支えないように考えられるのだ。
こうした考え方は現在ではもう人類全般の動かすべからざる信念……もしくは常識となってしまっているのだ。この「脳髄が物を考える処」という事実について今更めかしく疑いを起すものは、ドコを探しても一人も居ない事になっているのだ。現代の燦然《さんぜん》たる文化文物は針一本、紙一枚に到るまでも、一つ残らずこうした「物を考える脳髄」によって考え出されたものである……と演説しても「ノーノー」を叫ぶ者は一人も居ない位にアタマ万能主義の世の中になってしまっているのだ。
……然《しか》るにだ……ここで吾輩の脳髄探偵小説は、こうした世界的の大勢を横眼に白眼《にら》んだ一人の青年名探偵、兼、古今
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