はならない。死なにゃ行かれぬ地獄の噂じゃ。生きた坊主の賽銭《さいせん》集めじゃ。釈迦《しゃか》も知らない嘘八百だよ。わしが見て来た地獄というのは。ソンナ地獄と品事《しなこと》かわって。鉦《かね》を叩かず、念仏唱えず。十万億土の汽車賃使わず。そんじょそこらに幾らもあります。生きたながらのこの世の地獄じゃ……チャカポコチャカポコチャカポコチャカポコチャカポコ……
 ▼あ――ア。生きたながらのこの世の地獄じゃ。それも貧乏暇なし地獄や。浮いた浮いたの川竹《かわたけ》地獄。義理と人情《にんじょ》のカスガイ地獄。又は犯した悪事のむくいで。御用、捕《と》ったぞ、キリキリ歩めと。タタキ込まれる有期や、無期の。地獄なんぞと大きな違いじゃ。そんな道理がミジンも通らぬ。息も吐《つ》かれず、日の目も見えぬ。広さ、深さもわからぬ地獄じゃ。そこの閻魔《えんま》は医学の博士で。学士連中が牛頭馬頭《ごずめず》どころじゃ。但し地獄で名物道具の。昔の罪科《つみとが》、見分けて嗅《か》ぎ出す。見る眼、嗅ぐ鼻、閻魔の帳面。人の心を裏から裏まで。透かし見通す清浄玻璃《せいじょうはり》の。鏡なんぞは影さえ見えない。罪があろうが、又、無かろうが。本気、狂気の見分けも附けずに。滅多矢鱈《めったやたら》に追い込み蹴込むと。聞いただけでも身の毛が逆立《よだ》つ。地獄というのがそこらに在ります。見かけは立派な精神病院。嘘というなら這入って見なされ。責め苦の数々お望み次第じゃ。ナント恐ろしキチガイ地獄……チャカポコチャカポコチャカポコ……
 ▼あ――ア。ナント恐ろしキチガイ地獄じゃ。サテモ恐ろし精神病院。なぞと云うても皆様方には。まだまだ合点《がてん》が行きかねましょうが。物は順序じゃお聞きなされよ。聞いているうち如何《いか》にも、もっとも、そんな事とは知らずにいたわい。成る程そうかと合点が行きます。合点が行ったら八万四千の。身内の毛穴がゾクゾク粟立《あわだ》つ。そんじょ、そこらの地獄の話じゃ……チャカポコチャカポコチャカポコチャカポコ……
 ▼あ――ア。そんじょ、そこらの地獄の話じゃ。さても斯様《かよう》な地獄の起りが。曰《いわ》く因縁イロハのイの字の。そもや初めと尋ねるならば。文明開化のお蔭《かげ》と御座る。そこで世界の文明開化の。日進月歩の由来と申せば。科学知識の尊《たっ》とい賜物《たまもの》。中に尊といお医者の仕
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