患者のように、恐る恐るその椅子に近付くと、オズオズ腰を卸《おろ》すには卸したが、しかし腰をかけているような気持ちはチットモしなかった。余りの気味悪さと不思議さに息苦しくなった胸を押えて、唾液《つば》を呑込み呑込みしているばかりであった。
その間に若林博士はグルリと大卓子をまわって、私の向側の大きな廻転椅子の上に座った。最前あの七号室で見た通りの恰好に、小さくなって曲り込んだのであったが、今度は外套を脱いでいるためにモーニング姿の両手と両脚が、露《あら》わに細長く折れ曲っている間へ、長い頸部《くび》と、細長い胴体とがグズグズと縮み込んで行くのがよく見えた。そうしてそのまん中に、顔だけが旧《もと》の通りの大きさで据《す》わっているので、全体の感じが何となく妖怪じみてしまった。たとえば大きな、蒼白い人間の顔を持った大|蜘蛛《ぐも》が、その背後の大暖炉の中からタッタ今、私を餌食《えさ》にすべく、モーニングコートを着て匐《は》い出して来たような感じに変ってしまったのであった。
私はそれを見ると、自ずと廻転椅子の上に居住居《いずまい》を正した。するとその大蜘蛛の若林博士は、悠々と長い手をさし伸ばして、最前から大卓子の真中に置いたままになっている書類の綴込みのようなものを引寄せて、膝の下でソッと塵《ごみ》を払いながら、小さな咳払いを一つ二つした。
「……ところでその正木先生が、生涯を賭《と》して完成されました、その実験の前後に関するお話を致しますに就《つい》ては、誠に恐縮で御座いますが、かく申す私の事を引合いに出させて頂かなければなりませぬので……と申します理由は、ほかでも御座いませぬ。正木先生と私とは元来、同郷の千葉県出身で御座いまして、この大学の前身でありました京都帝国大学、福岡医科大学と申しましたのが、明治三十六年に福岡の県立病院を改造して新設されました当初に、第一回の入学生として机を並べましたものです。そうして同じく明治四十年に、同時に卒業致しましたのですから、申さば同窓の同輩とも申すべき間柄だったので御座います。しかも、今日まで二人とも独身生活を続けまして、学術研究の一方に生涯を打ち込んでおりますところまで、そっくりそのまま、似通っているので御座いましたが……しかしその正木先生の頭脳の非凡さと、その資産の莫大さとの二つの点に到っては、トテモ私どもの思い及ぶところでは
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