また》非常に変っておりまして科学趣味、猟奇趣味、色情表現《エロチシズム》、探偵趣味、ノンセンス味、神秘趣味なぞというものが、全篇の隅々まで百パーセントに重なり合っているという極めて眩惑的な構想で、落付いて読んでみますと流石《さすが》に、精神異常者でなければトテモ書けないと思われるような気味の悪い妖気が全篇に横溢《おういつ》しております。……もちろん火星征伐の建白なぞとは全然、性質を異《こと》にした、精神科学上研究価値の高いものと認められましたところから、とりあえずここに保管してもらっているのですが、恐らくこの部屋の中でも……否。世界中の精神病学界でも、一番珍奇な参考品ではないかと考えているのですが……」
若林博士は私にこの原稿を読ませたいらしく、次第に能弁に説明し初めた。その熱心振りが異様だったので私は思わず眼をパチパチさせた。
「ヘエ。そんなに若いキチガイが、そんなに複雑な、むずかしい筋道を、どうして考え出したのでしょう」
「……それは斯様《かよう》な訳です。その若い学生は尋常一年生から高等学校を卒業して、当大学に入学するまで、ズッと首席で一貫して来た秀才なのですが、非常な探偵小説好きで、将来の探偵小説は心理学と、精神分析と、精神科学方面に在りと信じました結果、精神に異状を呈しましたものらしく、自分自身で或る幻覚錯覚に囚《とら》われた一つの驚くべき惨劇を演出しました。そうしてこの精神病科病室に収容されると間もなく、自分自身をモデルにした一つの戦慄的な物語を書いてみたくなったものらしいのです。……しかもその小説の構想は前に申しました通り極めて複雑、精密なものでありますにも拘わらず、大体の本筋というのは驚ろくべき簡単なものなのです。つまりその青年が、正木先生と私とのために、この病室に幽閉《とじこ》められて、想像も及ばない恐ろしい精神科学の実験を受けている苦しみを詳細に描写したものに過ぎないのですが」
「……ヘエ。先生にはソンナ記憶《おぼえ》が、お在りになるのですか」
若林博士の眼の下に、最前の通りの皮肉な、淋しい微笑の皺《しわ》が寄った。それが窓から来る逆光線を受けて、白く、ピクピクと輝いた。
「そんな事は絶対に御座いませぬ」
「それじゃ全部が出鱈目《でたらめ》なのですね」
「ところが書いてある事実を見ますと、トテモ出鱈目とは思えない記述ばかりが出て来るのです」
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