取り出した。そうして、その一つを両手で重たそうに抱えながら引返して来て、寝ころんでいる妾の眼の前に突きつけた。
「これは……約束の品です」
「ナアニ。コレ……食パンじゃないの」
 ウルフはニヤニヤと笑い出した。笑いながらパンの横腹を妾の方に向けて、そこについている切口を、すこしばかり引き開けるとその奥にテニスのゴム毬《まり》ぐらいの銀色に光る球《たま》が見えた。ところどころに黒いイボイボの附いた……。
「アッ……コレ爆弾、アブナイジャないの、こんなもの」
「エラチャンは……この間……云ったでしょう。日暮れ方にこの窓から覗いていると、あのブルドッグの狒々《ひひ》おやじが、往来を向うから横切って、妾の処へ通って来るのが見える。その威張った、人を人とも思わぬ図々しい姿を見ると、頭の上から爆弾か何か落してみたくなるって……」
「ええ……そう云ったでしょうよ。今でもそう思っているから……」
「その時に僕が、それじゃ近いうちにステキなスゴイのが仲間の手に這入るから、一つ持って来て上げましょう。その代りにキット彼奴《あいつ》の頭の上に落してくれますかって念を押したら、貴女《あなた》はキット落してやるから、キット持って来るように……」
「ええ。そう云ったわ。タッタ今ハッキリと思い出したわ」
「その約束をキット守って下さるなら、このオモチャを……おいしい『ココナットの実』を貴女に一つ分けて上げます。どうぞ彼奴《あいつ》に喰べさしてやって下さい。あいつは財界のムッソリニです。彼奴《あいつ》はお金の力で今の政府を押え付けて、亜米利加《アメリカ》と戦争をさせようとしているんです。現在の財界の行き詰りを戦争で打ち破ろうと企んでいるのです。日本は紙と黄金の戦争では世界中のどこの国にも勝てない。下層民の血を流す鉄と血の戦争以外に日本民族の生きて行く途《みち》はない。不景気を救う道はないと高唱しているのです。彼奴《きゃつ》はこの世の悪魔です。吾々の共同の敵なのです……彼奴《あいつ》は……イヤあなたの旦那の事を悪るく云って済みませんが……」
「……いいわよ……わかってるわよ。そんな事どうでもいいじゃないの。もうジキ片付くんだから……」
「……大丈夫ですか……」
「大丈夫よ。訳はないわ。あのオヤジはここへ来るたんびにキット、この窓の真下の勝手口の処で立ち止まって汗を拭くんだから……そうして色男気取りでシャッポをチャンと冠《かぶ》り直して、ネクタイをチョット触ってから勝手口の扉《ドア》を押すのが紋切型になっているんだから、その前に落せば一ペンにフッ飛んでしまうかも知れないわね。そうしたら、なおの事おもしろいけど……ホホホ……」
 妾がこう云うとウルフはチョット心配そうな顔をした。室《へや》の中をジロジロと見まわしたが、鉄筋コンクリートの頑丈ずくめな構造に気が付くと、やっと安心したらしく妾の顔を見直した。真赤な唇を女のようにニッコリさせつつ、無言のまま、ウドン粉臭いパンの固まりを私のお臍《へそ》の上に乗っけた。その無産党らしい熱情の籠《こ》もった顔付き……モノスゴイ眼尻の光り……青白い指のわななき……。

 本当を云うと妾《わたし》はこの時に身体《からだ》中がズキンズキンするほど嬉しかった。約束なんかどうでもいい……こんなステキなオモチャが手に這入るなんて妾は夢にも思いがけなかった。妾はウルフに獅噛《しが》み付いて喰ってしまいたいほど嬉しかった。丸い銀の球《たま》を手玉に取って、椅子やテーブルの上をトーダンスしてまわりたくてウズウズして来た。
 けれども妾は一生懸命に我慢した。その新しいパンの固まりを、お臍の上に乗っけたまま、ソーッとあおのけに引っくり返った。その中の銀色の球《たま》の重たさを考えながら、静かに息をしていると、そのパンの固まりが妾の鼻の先で、浮き上ったり沈み込んだりする。その中で爆弾が温柔《おとな》しくしている。そのたまらない気持ちよさ。面白さ。とうとうたまらなくなって妾は笑い出してしまった。
 あんまりダシヌケに笑い出したので、ウルフは驚いたらしかった。靴を穿きかけたまま妾の処へ駈け寄って来て、妾のお臍の上から辷《すべ》り落ちそうになっているパンの固まりをシッカリと両手で押え付けた。サッキのように、おびえて、ウツロな眼付きをしいしいパンの固まりを抱え上げて、妾の寝台の下に並んでいる西洋酒の瓶《びん》の間に押し込んだ。ホッと安心のため息をしいしい立ち上り、又服を着直した。靴穿きのまま、ダブダブのコール天のズボンと上衣《うわぎ》を着て、その上から妾の古いショールをグルグルと捲き付けた。その上から厚ぼったい羊羹《ようかん》色の外套《がいとう》を着て、ビバのお釜帽《かまぼう》を耳の上まで引っ冠せた。それから膝をガマ足にして、背中をまん丸く曲げて、首をグッと
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