、その向うの白い浴槽《バス》がホノ暗くのぞいている。浴槽《バス》の向うには鏡の屏風《びょうぶ》が立っている。そんなものの隅々にピカピカチカチカ光っている金銀だの、瀬戸物だのの装飾が、一ツ一ツにブルドッグ・オヤジ……妾の旦那になっている赤岩権六の金ピカ趣味をサラケ出していた。見れば見るほど淋しい、つまんないものばかりだった。
そのブルドッグ・オヤジの赤岩権六は、ゆんべ夜中に急用が出来て、諏訪山裏の本宅の白髪婆《しらがばばあ》のところへ帰った。だから妾は今朝《けさ》、一人ぼっちで眼を醒したのだった。
だけど妾がコンナに淋しいのはブル・オヤジが居ないせいじゃなかった。ブル・オヤジが百人出て来たって、妾の気持ちを、とり直すことなんか出来やしなかった。今までだってそうだった。今もそうに違いなかった。
妾はタッタ一人でベッドの上に長くなったまんま、暗いところへグングン落ち込んで行くような気もちになっていた。
妾はいつの間にか枕元のベルを押したらしい。入口の横の垂れ幕を押し分けて、コックのハラムがノッソリと這入って来た。
ハラムは印度人の中《うち》でも図抜けの大男だった。背の高さが二|米突《メートル》ぐらいあって左右の腕が日本人の股《もも》とおんなじ大きさをしていた。それがいつもの通り、妾の大好きな黄色い上等の印度服を引っかけて、おなじ色のターバンを高々と頭に捲き上げているばかりでなく、眼のまわりが青ずんで、瞳《ひとみ》がギョロギョロして、鼻が尖《と》んがって、腮鬚《あごひげ》や胸毛を真黒くモジャモジャと生《は》やしているのだから、ちょうどアラビアン・ナイトに出て来る強盗の親分みたいなスバラシサで、見上げただけでも気持ちがスーッとした。この印度人は故郷に居る時分からうらない[#「うらない」に傍点]が本職で、四十二歳の今日がきょうまで、何とかいうバラモンの神様に誓って、童貞を守っているのだ……と自分で云っていた。だけど色が黒いからホントだか嘘だかよくわからなかった。
妾は毎朝ブル・オヤジが帰ったあとで、誰も居なくなると、この男に抱かれてユックリお湯に入れてもらうのを何よりの楽しみにしていた。それは思いようによってはこの上もない、ステキな冒険に違いなかったから……。
けれどもハラムは妾の処に来た最初から、どこまでも柔順な妾の家来になり切っていた。今朝《けさ》もやっぱりい
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